荒川を知ろう
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荒川上流部改修100年
荒川紀行
戸田の渡し
江戸時代、荒川には江戸防衛の意から橋が架けられず、人々は荒川を越えるには船による渡しに頼らざるを得ませんでした。
中山道では板橋と戸田の間に「戸田の渡し」が設けられ荒川を渡っていました。
戸田の渡しは現在の戸田橋の100mほど下流に位置し、明治8年(1875年)5月に木橋の戸田橋が架けられるまで続きました。上の地図では荒川の今の流路と、改修前の流路(茶色)を比較しています。
戸田の渡しがあった場所は以前の流路と同じで、ここを渡っていたことがわかります。
下の画像は右岸の板橋側にある渡し碑で、戸田橋から100m程度下流に位置しています。左岸の戸田側の碑で、こちらも戸田橋から100m程度下流側にあります。
下の画像はかつて戸田の渡しがあった場所を右岸側(板橋側)から撮影しています。
左に見える橋は新幹線の橋で、その奥に国道17号戸田橋があります。改修前の流路上にある浮間公園に行ってみると、浮間ヶ池を中心にして親水公園になっています。
公園の面積は約4ha、水深2.5m。池の北端には、この地が荒川のころ岸辺に生えていたアシ、マコモなど水生植物の保護区となっている他、水鳥等多くの生物が見られます。