荒川を知ろう
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荒川上流部改修100年
荒川紀行
大囲堤・水塚
荒川が流れる低地での暮らしは、昔から水害との戦いの連続でした。
地図は荒川の中流に位置する川島町。北を市野川、南を入間川、西を越辺川、東を荒川に囲まれた地域です。大囲堤
川島町はあまり起伏がなく田畑が広がります。そのため、ひとたび川が氾濫すると辺り一面が水に浸かってしまう土地でもあります。
町を囲うようにめぐらされた堤防は、一部がサイクリングコースにもなっていますが、これは江戸時代に築かれた「川島領大囲堤」を拡築したものです。
堤防高はざっと2m以上あり、これが江戸時代に人力でつくって町を囲っていたかと思うと先人達の苦労がわかります。水塚
度重なる洪水から生命や財産を守るため、自然堤防とよばれる微高地に居を構えさらに敷地内に土盛りをし、そこに倉などの建物を建てて食べ物や資産を置いて万一に備え、洪水時にはそこに避難していました。これを水塚(みづか)といいます。
また、水害のときの避難や移動のため「上げ舟」とよばれるを常備している家も多く、ふだんは納屋等に吊るしていました。
川島町など荒川中流部の沿川では、こうした昔からの川と共に生きる人々の暮らしの知恵を随所に見ることができます。