荒川を知ろう
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荒川上流部改修100年
荒川紀行
鉢形城跡
鉢形城は、文明8年(1476年)関東管領であった山内上杉氏の家臣長尾景春が荒川の上流部(現寄居町)に築城したと伝えられており、のちにこの地域の豪族藤田泰邦に入婿した小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充した関東地方において有数の規模を誇る城です。
現在では鉢形城公園となっており、園内には鉢形城歴史館もあり、歴史や城の構造を映像などを交えて分かり易く紹介しています。北に荒川で断崖絶壁、東から南東にかけて深沢川。
地図を見ただけで、これは堅城だったことがうかがえます。歴史館の館長さんにお話しを聞いたところ、「北の荒川からの攻撃はほとんど想定してなかったのではないか。また、西側も堀を切ったり土塁を盛ったりして堅城であったでしょう」とのこと。また連歌師である万里集九(ばんりしゅうく)という人が鉢形城に訪れて詠んだ歌に「鉢形の城壁は鳥もうかがいがたし」とあり、難攻不落のほどがわかります。
上の写真は左岸からの撮影。下の写真は北側からの空撮。天正18年(1590)豊臣秀吉は、当時関東周辺を支配していた北条氏を攻めるため、小田原に兵を進めました。
北条氏の支城となっていた鉢形城にも軍勢が押し寄せ、城主である北条氏邦は籠城策をとり、最終的には5万もの軍勢が鉢形城を包囲しました。
氏邦は家臣の助命が認められたため、鉢形城を明け渡し降伏しました。