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荒川を知ろう

  • 荒川上流部改修100年

    改修の歴史(その1)

    目次

    ⇒ 明治43年の洪水
    荒川改修の契機となる大洪水

    ⇒ 荒川放水路開削工事
    延長22km、幅500mの放水路を開削

    ⇒ 荒川上流部改修工事
    荒川の特徴である広い川幅や横堤はこのときつくられた

    ⇒ 入間川改修工事
    入間川・越辺川・小畔川等の荒川支川の改修

    ⇒ 改修の歴史(その2)

    明治43年の洪水

    明治以降、荒川最大の出水とも言われる明治43年の大洪水は、埼玉県内の平野部全域を浸水させ、東京下町を壊滅的な被害に追いやる。この時の降水量は昭和22年のカスリーン台風より10%ほど多く、洪水規模も大きかったと推定されている。
    埼玉県内の堤防決壊314カ所、死傷者401人、住宅の全半壊・破損・流出18,147戸、非住宅10,547戸、農産物の被害は2400万円(現在の資産価値で1,000億円)を超えた。
    この未曾有の大水害に明治政府は、臨時治水調査会を設けて抜本的な治水計画を樹立する。
    計画は荒川の上流部と下流部に分けられ、上流部では、場外遊水機能を高めるとともに、低水路の屈曲を矯正して通水力を増大し下流への流量調節に努めることが定められた。
    下流部では明治44年に荒川放水路事業に着手(昭和5年竣工)、上流部の改修は下流部の進捗をみながら大正7年に着手された。

    明治43年(1910年)氾濫の図 明治43年(1910年)氾濫の図 埼玉県立文書収蔵写真資料より

    「明治43年(しじゅうさんねん)の大洪水」として今も歴史に残る洪水は、人の暮らしが荒川の氾濫域にあることを物語っている。

    • 軒にせまる濁流 軒にせまる濁流(川越市)埼玉県立文書館収蔵写真資料より
    • 堤防決壊の光景 堤防決壊の光景(熊谷市村岡付近)さいたま川の博物館より

    荒川放水路開削

    明治43年の大洪水を契機に、東京の下町を水害から守る抜本策として明治44年に着手し、昭和5年に完成。これにより、東京東部・埼玉南部の低地帯は洪水から防御され、一気に市街地化が進むことになる。

    荒川放水路改修平面図 荒川放水路改修平面図
    工事概要
    工事費用 31,446,000円(現在価値で約2,300億円)
    工事期間 20年(明治44年~昭和5年)
    開削土量 21,800千m3(東京ドームの約18杯分)
    ※開削土量は、浚渫+掘削の合計
    土地買収 1,088ha (日比谷公園の約67倍)
    移転戸数 1,300戸

    荒川上流部改修工事

    大正7年から始まる荒川上流改修工事の施工区域は、赤羽鉄橋から大里郡武川村(深谷市川本地区)に至る62.3km、入間川筋の比企郡伊草村(現川島町)地先の落合橋から荒川合流部に至る5.9km、新河岸川筋の北足立郡新倉村(現和光市)から岩淵水門に至る11.1kmだった。
    大正7、8年に用地買収・工事測量を実施し、大正9年より工事に入っている。工事は河道湾曲部の著しい箇所を先行するとともに、下流部より順次上流に進める方針がとられた。

    荒川上流改修工事平面図 荒川上流改修工事平面図
    荒川上流部改修工事 工事の特徴


    ■工事の特徴
     荒川中流部において蛇行していた河道を掘削工事により直線化を行い主にその掘削で生じた土砂を利用して連続した堤防の築堤工事を行った。
    また、荒川中流部の広い河川敷には、治水効果を高めながら農地を保護するために、通常の堤防に対して直角方向に築かれた横堤を27箇所(左岸14箇所、右岸13箇所)設けている。


    ■工事の状況
    掘削や築堤等の工事においては、人力による施工や蒸気を使用した機械動力による施工も行われた。
    現戸田市の三領排水路工事では、40t掘削機、20t蒸気機関車、3m3積土運車が使用された。

    • 人力による施工 人力による施工
    • 機械動力による施工 機械動力による施工


    ■入間川との合流点改修
    入間川はほとんど直角に荒川に合流していたが、新たに新川を開削して合流点を下流5kmの地点に引下げて、荒川と入間川の間に背割堤を設けて分離を行い、昭和29年(1954年)に完成する。

    入間川との合流点の改修前、改修後イラスト 入間川との合流点の改修前、改修後イラスト
    左)明治14年作成の地方迅速図 右)平成20年作成の地形図 (国土地理院提供) 左)明治14年作成の地方迅速図 右)平成20年作成の地形図 (国土地理院提供)


    ■荒川上流改修工事完工
    昭和16年(1941年)に三領排水路が完成。昭和20年(1945年)の戦争集結、昭和22年(1947年)のカスリーン台風による被害を乗り越え、昭和28年(1953年)に改修工事に伴う荒川大橋(熊谷市)の継ぎ足し工事が完成。
    昭和29年(1954年)の熊谷付近の工事の終了をもって、荒川上流部改修計画は一応の完了を見る。

    • 荒川上流改修工事完工式 荒川上流改修工事完工式
    • 荒川上流部改修記念碑 荒川上流部改修記念碑

    入間川改修工事

    荒川の支川である入間川・越辺川・小畔川の合流部は、度々洪水に見舞われていた。
    地域の人々の改修を願う思いは入間川水系改修工事期成同盟会を発足させ、昭和17年(1942年)に国の直轄河川に編入される。

    ■入間川・越辺川・小畔川 三川分流工事
    もともと落合橋の上流で合流していた入間川、越辺川、小畔川の合流点を下流側に付け替える工事が、昭和29年(1954年)に完工した。
    これにより、入間川と越辺川の合流点が約2km下流に、越辺川と小畔川の合流点が約1km下流になり、三川がはっきりと分離し洪水がスムースに流れるようになった。

    三川分流点改修前、改修後イラスト 三川分流点改修前、改修後イラスト
    左)明治39年作成の地方迅速図 右)平成20年作成の地形図 (国土地理院提供) 左)明治39年作成の地方迅速図 右)平成20年作成の地形図 (国土地理院提供)
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