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関東の富士見百景

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    関東の富士見百景
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    古から富士山は、多くの歌人や文豪によってその姿が表現されてきました。例えば、万葉集の中では、山部赤人による有名な短歌「田子の浦ゆ うちいでてみれば 真白にぞ ふじの高嶺に 雪は降りける」など、いくつもの歌が収められています。また、富士山は平安時代と江戸時代に大噴火を起こしており、平安時代初期の「竹取物語」や「更級日記」には、富士山の噴火の様子が記録されています。またそれ以外にも、噴火の煙が燃える恋の象徴として詠われたり、近代においては民主主義の象徴、戦後においては野性や欲望の象徴などとして描かれることもありました。

    日本人は、このように様々な表情を持つ富士山を、どのような想いで眺め、その想いをどのように言葉で綴ってきたのでしょうか。

    「関東の富士見百景」の選定景の中には、古くから和歌俳句等に詠われたところや地誌などによって人々に語り伝えられてきたところ、小説の中に登場するところなどがあります。富士山を眺めながら、作品を書いた昔の歌人や文豪の想いを感じとってみるもの面白いのではないでしょうか。

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    定番号 地点名 富士山を詠った場所
    33 武蔵野からの富士 江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』の一文、「かかる名高き所のわづかにも存して、今見ることをうるは当国にとりては美事」
    53 東京富士見坂 善福寺地区 太宰治「富嶽百景」のはじめの方の記述で、杉並区からの富士山の眺めについて述べられている
    79 小田原市からの富士
    ・栢山(かやま)から見た富士
    (二宮尊徳の見た富士山)
    二宮尊徳による道歌「曇らねば、誰が見てもよし富士山 生まれ姿で 幾世経(ふ)るとも」
    81 逗子市からの富士
    ・逗子海岸
    徳冨蘆花「富士」で、逗子からの富士山の眺めが述べられている。また海岸近くには、同著「不如帰」の碑が建てられている
    84 三浦半島(葉山町)からの富士
    ・森戸神社
    晩年葉山のこの近辺に移り住んだ西東三鬼は句集「変身」の中に多くの富士山の句を残した
    86 湘南大磯からの富士
    ・大磯 照ヶ崎海岸
    西行法師の和歌「心なき身にも哀れは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ」
    97 富士吉田市からの富士
    ・富士山レーダードームと富士
    直木賞作家 新田次郎は、富士山頂測候所に勤務、富士山気象レーダー建設の責任者の経歴を持つ。富士山を題材にした作品を多く執筆
    101 山梨市からの富士
    ・差出の磯
    古今和歌集の「志保の山差出(さしで)の磯に棲む千鳥君が御代をば八千代とぞ鳴く」と詠まれた名勝地
    107 長坂からの富士
    ・花水坂
    江戸時代に烏丸光寛が次の歌を詠んでいる。
    「立ちおほふ 霞にあまる 富士の峰に 思ひをかはす山桜かな」
    112 富士川町からの富士
    ・日出づる里(高下)
    「うつくしきものミつ」と書かれた高村光太郎の文学碑がある。「ミつ」とは、この地域のゆずと人情と富士山を指している
    117 忍野村からの富士 忍野八海と呼ばれる八つの湧水池で知られる忍野で、晩年の水原秋桜子は「年越すや不二の忍野の蕎麦打ちて」と、湧水で打った蕎麦を詠んだ
    119 紅葉台 紅葉台の鳴沢村に山荘を建てた武田泰淳とその妻百合子は、富士山麓での生活を記した「富士日記」を執筆した
    120 河口湖からの富士 甲斐の飯田蛇笏は、河口湖湖畔から眺めた富士山の句を多数詠んだ
    122 御坂・鎌倉往還・三つ峠 太宰治の小説「富嶽百景」の一節「富士には月見草がよく似合ふ」
    三ツ峠の登り口にある「天下茶屋」には、太宰治が「富嶽百景」を執筆した部屋が残る
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