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関東の富士見百景

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    浮世絵

    関東の富士見百景
    浮世絵

    「関東の富士見百景」として選定された128景(233地点)の中には、江戸時代、歌川広重や葛飾北斎による浮世絵の一枚として描かれた地点があります。今では景観が移り変わって、江戸の人々と同じ視線で富士を眺めることは難しくなってしまいました。しかし、北斎や広重の浮世絵は、今でも当時の富士見の様子を思い起こさせてくれます。北斎や広重の作品を見ながら、江戸の富士見と現代の富士見を比べてみるのはいかがでしょうか。

    北斎は、天保二~四年(1831~1833)に「富嶽三十六景」を、広重は天保四~五年(1833~1834)に、保永堂版「東海道五拾三次之内」を発表しました。これらの制作の時期はほぼ同じではありますが、二人の置かれていた状況は大きく異なっていました。北斎はすでに老齢の域に達しており、活躍の場も版画、肉筆画、挿絵など多岐にわたっていました。

    一方、広重は、30代後半と歳を若くしながら、名所絵師としての名声は高く、多数の江戸や諸国の風景画を描き続けていました。しかし、若い頃は、富士を題材にした作品は描かず、晩年になってようやく筆を執ったのが「富士三十六景」と「不二三十六景」です。
    これは、「富嶽三十六景」と、続いて刊行された『富嶽百景』によってできた「富士イコール北斎」というイメージを意識してのことだろうという一説もあります。

    それでは、地点ごとに、描かれた浮世絵とその背景を以下で詳しくみてみましょう。

    (参考:『北斎・広重の富嶽三十六景筆くらべ』(人文社 2005)P55)

    「浮世絵」の詳しい情報はこちら

    選定番号 地点名 「関東の冨士見百景」選定景の中で浮世絵に描かれた地点の概要
    5 権現山公園 葛飾北斎の富嶽三十六景「常州 牛堀」
    47 房総半島(富津市)からの富士 鋸山 歌川広重「不二三十六景 安房鋸山」
    広重は嘉永5年(1852)2月の房総旅行の際、鋸山を訪れており、実際に見た景色を参考に浮世絵を描いたと思われる。
    50 房総半島(鋸南町)からの富士 ・元名(もとな)海岸 安藤(歌川)広重の富士三十六景「房州保田海岸」
    ・鱚ヶ浦(きすがうら)海岸
    53 東京富士見坂 ・日暮里富士見坂 安藤(歌川)広重の名所江戸百景「日暮里寺院の林泉」
    75 三浦半島(横須賀市)からの富士 ・立石海岸 安藤(歌川)広重の「相州三浦秋屋の里」
    80 茅ヶ崎市からの富士 ・茅ヶ崎南湖の左富士 安藤(歌川)広重の五十三次名所図絵「南湖の松原左不二」
    110 犬目地区内(遠見) 葛飾北斎の富嶽三十六景「甲州 犬目峠」
    122 御坂・鎌倉往還・三つ峠 葛飾北斎の富嶽三十六景「甲州 三坂水面」
    124 塩嶺御野立公園 展望台 渓斎英泉の「木曽街道六十九次 塩尻」安藤(歌川)広重の「善光寺土産 諏訪湖」
    127 下諏訪町 湖浜 葛飾北斎の富嶽三十六景「信州諏訪湖」
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