1910(明治43)年の大洪水をきっかけに、荒川の改修計画が策定されました。その後、二瀬ダムや荒川第一調節池、堤防の整備などを行い、治水安全度が高まりましたが、令和元年東日本台風では再び甚大な被害が流域で発生しました。荒川の改修は、まさに洪水との戦いなのです。
年代 | 歴史 | |
---|---|---|
1910(明治43)年 |
|
|
1911(明治44)年 |
|
|
1918(大正7)年 |
|
|
1918(大正7)年 |
|
|
1924(大正13)年 |
|
![]() |
1929(昭和4)年 |
|
|
1930(昭和5)年 |
|
![]() |
1947(昭和22)年 |
|
|
1950(昭和25)年 |
|
|
1951(昭和26)年 |
|
|
1954(昭和29)年 |
|
|
1961(昭和36)年 |
|
![]() |
1965(昭和40)年 |
|
|
1982(昭和57)年 |
|
![]() |
1999(平成11)年 |
|
![]() |
2004(平成16)年 |
|
![]() |
2005(平成17)年 |
|
|
2007(平成19)年 |
|
![]() |
2008(平成20)年 |
|
![]() |
2011(平成23)年 |
|
|
2016(平成28)年 |
|
|
2018(平成30)年 |
|
![]() ![]() |
2019(令和元)年 |
|
|
2020(令和2)年 |
|
利根川の洪水と合わせて埼玉県内の平野部全域が浸水、荒川流域内の堤防決壊178か所、延長約8,900m、死者・行方不明者399人と、甚大な被害をもたらしました。明治政府は「臨時治水調査会」を設け、抜本的な治水計画にのり出しました。
昭和・平成の時代を通じて、荒川に最大の洪水被害をもたらすことになったカスリーン台風。荒川では、田間宮村(現鴻巣市)で堤防が約65mに渡り決壊し、続いて熊谷市久下地先で約100mに渡り堤防が決壊。死者・行方不明者は109人に上りました。
関東・東北地方を中心に計140か所で堤防が決壊するなど、極めて甚大な被害が広範囲で発生しました。荒川の支川である越辺川や都幾川でも堤防が決壊し、流域の死者は4人に上りました。