明治時代(1868~1912年) |
1868 |
明治1 |
9.- 東京府と神奈川県の境界が多摩川の中心となる |
1870 |
明治3 |
川口村(八王子市)で二毛作が始まる |
1871 |
明治4 |
多摩川の砂利が、新橋-横浜間に開通した鉄道線路の道床バラスに使用される |
1873 |
明治6 |
5.- 炭運上制廃止 |
8.2 河港道路修築規則が発布され、多摩川は一等河川となる |
中原某、大師河原(川崎市)に水車営業開始 |
1874 |
明治7 |
10.- 東京府、水道料金の徴収を始める |
1.20 六郷の渡し廃止 |
1876 |
明治9 |
9.17 大雨で多摩川洪水、六郷橋破損 |
1877 |
明治10 |
多摩川を水源とする横浜水道会社の水道敷設が竣工 |
1878 |
明治11 |
4.- 玉川に鮭の子3万匹を放流(人工鮭放流のはじめ) |
9.15 台風による多摩川出水で六郷橋が流失 |
1884 |
明治17 |
9.17 台風により多摩川各所で堤防決壊 |
1886 |
明治19 |
西多摩郡長淵村(青梅市)でコレラ患者の汚物を多摩川で洗濯したことが事件化し、近代的水道の設置の要求高まる |
1890 |
明治23 |
8.22~24 台風により多摩川各所で堤防決壊 |
1894 |
明治27 |
8.11 台風による多摩川増水で堤防内川沿地浸水 |
1896 |
明治29 |
4.8 河川法公布(底水工事より高水工事への転換) |
1898 |
明治31 |
3.- 御岳万年橋に西洋式のアーチ型木橋をかける(高橋と称す) |
1900 |
明治33 |
6.- 浅川に萩原橋を架設 |
1901 |
明治34 |
5.14 橘樹郡稲田村より下流の多摩川、河川法 準用河川に認定 |
浅川に浅川橋を架橋 |
1902 |
明治35 |
5.- 大柳の渡し、木橋の万年橋の架設により姿消す |
1905 |
明治38 |
3.- 浅川に大和田橋を架設(八王子) |
1906 |
明治39 |
3.- 浅川に水無橋、高橋橋を架設 |
1907 |
明治40 |
8.24 台風により多摩川各所で堤防決壊 |
3.27 東京市水道使用条例の制定 |
1909 |
明治42 |
秋川に秋川橋、成木川に両郡橋、多摩川に万世橋を架設 |
<
1910 |
明治43 |
8.10~11 台風によりほぼ全川にわたって破堤。川崎・大森方面では特に被害をうける |
東京砂利鉄道開通し、多摩川の砂利輸送始める |
1912 |
明治45 |
4.1 東京府と神奈川県との境界を多摩川の中央とする |
7.- 「多摩川筋、鶴見川筋河川敷地及び水面占用並使用規定」制定 |