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東海道を利用して庶民がお伊勢参りする場合にどの程度の費用が必要だったのでしょうか。 |
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江戸時代、特に中後期に入ると、多くの人々が伊勢神宮へ参詣に行くようになります。江戸周辺から伊勢参りへ行く人々は、行きは東海道を通り、帰りは善光寺詣でを兼ねて中山道を通るのが一般的でした。場合によっては、伊勢参宮の後、西国三十三箇所や京都・大阪見物、さらには金比羅や宮嶋まで足を延ばす人々もいました。こうした伊勢参りなどにかかった費用の額は、旅人が書き綴った道中日記などから知ることができます。江戸周辺から伊勢神宮まではおおよそ一五泊程度の行程で、一九世紀半ばの段階では旅籠代は一泊二〇〇文程度が相場だったようです。また、昼食代は七〇〜八〇文といったところでしょうか。この他、川越・渡船の運賃、一服した茶屋での代金、駕籠や馬の乗り賃が必要となります。 1日の必要最低経費を三〇〇文として、片道一五日の行程で最低四貫五〇〇文となります。「二八そば」というようにかけそば一杯が二×八=一六文であったことを考えると結構な出費であることが想像されます。
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