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飛脚は東海道を何日くらいかかったの?
江戸時代、今の郵便や電話の役目をしていたのが飛脚です。幕府は、各宿場に飛脚を置いて、公用の手紙や荷物をリレーしながら目的地まで届けました。江戸から京都までは約492km、普通、歩くと2週間ほどかかりますが、飛脚はわずか3~4日で走ったのです。
宿場には、人馬の継立、旅人の宿泊、通信業務という3大任務がありましたが、通信業務とは幕府の公用の文書を入れた御用箱を輸送することです。そのために各宿に置かれたのが幕府公用の継飛脚で、その代価として幕府は宿に継飛脚給米を与えました。
このほか諸大名の大名飛脚や民間の町飛脚がありました。
江戸時代からの飛脚制度は、明治になっても続き、手紙・小荷物の輸送を続けていましたが、明治4年(1871)に郵便制度が官営になったことで、貨物の輸送だけとなったため、明治5年、飛脚業者は結束して陸運元会社を設立しました。
図版:東海道五拾三次之内 平塚「縄手道」
初代広重 保永堂版 静岡県立博物館蔵
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