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旅人はどのように箱根山を越えたのですか?
箱根は東海道で最大の難所として古くから恐れられていたところです。藤原為家の側室阿仏尼は『十六夜日記』(いざよいにっき)で箱根路のことを「いとさかしき(大変険しい)山をくだる、人の足もとまりがたし、湯坂とぞいうなる」と記しています。
鎌倉時代には、箱根山を越える道には、京から下る場合、三島から御殿場を迂回して足柄峠を越え、関本から国府津へ抜けるいわゆる「足柄道」と、直接箱根山を登り、芦ノ湖を経て箱根権現を通り、湯本へ下るいわゆる「湯坂道」と呼ばれる2つのルートがありました。
江戸時代になると、徳川家康が街道整備に着手する中で、箱根山越えの道は大きく変更されます。いわゆる「箱根八里」とよばれるルートです。この道筋は、江戸から京に向かう場合、湯本の三枚橋で早川を渡り、須雲川沿いを登り、畑宿を経て芦ノ湖畔に出る道です。途中、険しい坂道が続き、山道には茶屋が13カ所もありました。
図版:湯坂路と箱根路 箱根町教育委員会提供
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