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街道の整備や清掃はどうやっていたのですか? |
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江戸時代、幕府は村々に年貢や助郷などの課役を命じましたが、このほかに道路や橋、用水などの修繕も村の負担になり、村内の道路の補修などは「自普請」といって村の費用で行われましたが、主要道路については、宿内の家並み続きの場所以外は、周辺の村々が掃除や普請の義務を負わされました。
五街道のうち、とくに東海道は公用人馬の往来が激しく、道路や橋の普請は、幕府の御普請役が管理し、宿村がこれを手伝うことになっていました。
街道の掃除は沿道の村々の負担で行われていました。村々には、掃除受取丁場といって一定の持ち場が割り当てられ、御三家、参勤交代の大名、諸門跡、勅使、上司、名代、お茶壺道中などの通行の際は、必ず掃除を行わなければなりませんでした。
掃除の内容は、道の両側に鍬目をつけ、水たまりを土で埋め、落ち葉や馬糞を取り除き、ところどころへ盛砂や手桶を用意するというものです。
広義の掃除役には掃除のほか、並木の管理と、道路、堤、いり樋、橋などの普請(幕府負担の御普請所と村負担の自普請所の区別があった)もありました。
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