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箱根に宿場が置かれたのはなぜ? |
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慶長6年(1601)、徳川家康は宿駅伝馬制度を定め、東海道に宿場を設置しました。しかしこのときには、箱根宿は設置されませんでした。箱根宿ができたのは、17年後の元和4年(1618)のことです。
『新編相模国風土記稿』によれば、箱根山越えの便宜を図るために新設したと記されています。
箱根ができた当時は、小田原宿と三島宿からそれぞれ50軒ずつを移住させ、合わせて100軒でしたが、天保年間には198軒となり、約2倍にまで増えています。
しかし「山上無高」(さんじょうむだか)という言葉が地方史料に見えるように、箱根宿は標高700メートルを超える高所に位置するところで、気候も厳しく、田畑が皆無の場所です。ここに生活する人々のほとんどは往還宿場関係の職種にたずさわり、旅人が落とすわずかな収入によって生活していたのです。
幕府は宿場維持のために、租税を免除したり、米や補助金を出すなど、さまざまな保護政策を展開していたものの、人々の生活はけっして楽なものではなかったようです。
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図版:東海道分間延絵図 箱根宿 東京国立博物館蔵 |
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