|
 |
「東海道53次」の「次」には、どういう意味があるのですか |
 |
慶長5年(1600)、徳川家康は関ヶ原の戦いに勝つと、天下統一のために全国の街道整備に着手し、翌慶長6年(1601)に東海道に宿駅伝馬制度をしきました。
宿駅伝馬制度とは、街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や物資の輸送は無料で次の宿駅まで送り継ぐという制度です。輸送のために必要な人馬は、宿場が提供するというものです。
輸送の範囲は原則として隣接する宿場までで、これを越えて運ぶことは禁止されていました。したがって人足と馬もそこで交替することになり、隣の宿場に着くと荷物を新しい馬に積み替えることになります。
東海道には江戸から京都までの間に53の宿場がありましたから、江戸から京都まで運ぶ場合、53回の継ぎ替えをすることになります。そのため俗に「53次」と呼ばれるようになりました。
|
図版:東海道五拾三次之内 藤枝 「人馬継立」 初代広重 保永堂版 神奈川県立歴史博物館蔵 |
 |
|
へ戻る
へ進む
|
|