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平塚が宿場になったのはいつ頃ですか? |
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平塚宿は、徳川家康が東海道に宿駅伝馬制度を設けた慶長6年(1601)に成立しましたが、伝馬継立の負担が大きかったため、慶安4年(1651)に加宿(かしゅく)として平塚新宿が加わりました。当初は八幡新宿または新宿村と呼んでいましたが、明暦元年(1655)に平塚新宿と改称されました。
平塚宿は東海道沿いに左右帯状に家並みをなし、その長さは平塚新宿を含め、19町5軒(約2q)。街道をはさんだ南側は御林が海辺まで連なり、北側は田畑や御林でした。
平塚宿は東海道のほか、八王子道、中原往還などの脇街道が通ることから、交通の要衝として栄えました。特に中原往還は有名で、家康はこの街道を使い、中原を訪れていました。
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図版:平塚宿の模型 平塚市博物館蔵 |
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文久2年(1862)ごろの平塚宿には、東海道沿いに本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠42軒、湯屋4軒、髪結床2軒を含む総計210軒の屋敷が建ち並んでいた。 |
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