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	戸塚が宿場になったのはいつ頃ですか? | 
	 
	
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	保土ヶ谷宿の成立は、隣宿である保土ヶ谷宿と藤沢宿が慶長6年(1601)に成立したのに比べると若干遅く、3年後の慶長9年(1604)です。 
	したがって、それまでは保土ヶ谷宿・藤沢宿間については、両宿が公用の人馬役の負担を務めていました。 
	しかし保土ヶ谷宿・藤沢宿間は4里9町(約17km)と距離があるうえ、箱根以東において最大の難関ともいうべき地帯で上り下りが多いため、両宿の負担は軽いものではありませんでした。 
	そのため実際には、戸塚町では宿場ではないのに、人馬を出して駄賃稼ぎしたり、旅人を宿泊させていたりしたケースが多かったようです。 
	そこで戸塚町や藤沢宿を支配していた代官彦坂元正は、慶長8年(1603)に、戸塚町に対し、宿泊させているのはもっともであるが、公用の伝馬を負担していないのに駄賃を取るのはわがままであるとし、駄賃稼ぎを禁じる通達を出しています。 
	これに対して、戸塚町では宿場として認めてくれるよう願書を作成した結果、慶長9年(1604)に正式な宿場として認められたという経緯があります。 
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		図版:東海道分間絵図 戸塚宿  遠近道印著  菱川師宣筆  横浜市歴史博物館蔵 | 
		 
		
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