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川崎が宿場になったのはいつ頃ですか? |
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川崎宿が成立したのは、他の宿より遅れて元和元年(1623)のことです。
徳川家康は関ヶ原の役が終わった慶長6年(1601)1月に宿駅伝馬制度を定め、東海道に宿場を設置しました。しかし東海道でも五十三次が一度に設置されたわけではありません。
川崎宿が遅れて設置されたのは、両隣の神奈川宿と品川宿が往復10里にも及び、伝馬継立を行う百姓の負担が重いために、両宿が幕府に請願し、これをうけてその中間に新駅を設置し、その軽減を図ったことによります。
しかし、宿になった当初、伝馬百姓は次第に増加する継立負担に耐えられず、退転逃散が続出し、問屋役の者まで身上潰れという状況に陥り、宿役人らは幕府に対し川崎宿の廃止を愁訴するに至りました。
これに対し幕府は地子免除や諸手当などの給付を行いましたが、寛永17年(1640)には常備伝馬が36疋から100疋に引き上げられ、宿場の負担は軽減されませんでした。こうした宿場の財政を立て直したことで有名なのが、宝永元年(1706)、田中本陣の本陣職を継いだ田中休愚です。彼は六郷川(現在の多摩川)の渡船運営を川崎宿で請け負えるよう幕府に働きかけ、その収益により川崎宿の財政を立て直したのです。
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川崎宿の模型 川崎市市民ミュージアム蔵 |
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