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各宿場には人馬が用意されていたようですが、それぞれの宿場ではどの程度であったのでしょうか。 (二宮町 70歳 男性) |
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江戸時代、全国の主要な街道には、幕府によって定められた人馬が常備されていました。ただし、この人馬を利用できるのは、幕府高官の任地への赴任や参勤交代の大名行列、あるいは江戸と全国各地に存在する幕府の出先機関との間における連絡のための書状などといったいわゆる公用の事柄に関するものだけでした。東海道の各宿に常備されていた人馬数は、人足一〇〇人・馬一〇〇匹であり、同じ五街道でも中山道が五〇人・五〇匹、日光街道・甲州街道・奥州街道がそれぞれ二五人・二五匹であるのと比べると、一頭地抜きんでた数値です。江戸と京都・大阪を結ぶ東西の大動脈としての東海道の重要性がうかがわれます。
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