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東海道はどのくらいの道幅があったのですか? |
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『慶長見聞集』によると、江戸幕府は慶長9年(1604)に全国的な道路改修事業を起こし、道幅を広げ、道路の屈曲をやわらげ、牛馬の往来の障害となる小石を取り除き、松や杉などの並木を植えるなどを行ったと記されています。
さらに元和2年(1616)、徳川家康が没すると、家康の遺訓といわれる『家康百箇条』が示され、このなかに江戸時代の道路政策や道路の種類・等級に関するものが見えます。
そこには道路の種類ごとの道幅が次のように記されています。
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大海道 |
6間(約10.8m) |
小海道 |
3間(約5.4m) |
横道 |
2間(約3.6m) |
馬道 |
2間(約3.6m) |
歩行路 |
1間(約1.8m) |
捷路 |
3尺(約90cm) |
作業道 |
3尺(約90cm) |
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東海道は大海道ですから、これによれば基本的に6間(約10.8m)と定められたことがわかります。
一方、東海道の道幅を示す橋の横幅を調べてみると、川崎宿から保土ヶ谷宿まではほぼ3間(約5.4m)、それより以西では2間から2間半と狭くなっていることがわかります(『東海道宿村大概帳』より)。
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図:東海道五拾三次内 大磯「虎ケ雨」 初代広重 保永堂版 神奈川県立歴史博物館蔵 |
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