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宿場とはどういうところだったのでしょう? |
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宿場は宿(しゅく)、宿駅とも呼ばれ、街道の拠点となったところです。宿という名前は、平安時代の末期頃から使われだしましたが、江戸時代に宿駅伝馬制度が定められ、街道が整備されるとともに発展した集落です。
宿場には、文字通り旅人を宿屋に泊めたり、休ませたりするという役割がありましたが、最も重要な役割として、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷物や通信物を、次の宿場まで運ぶという業務がありました。そのため宿場は、本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設と、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心となっています。
当初は農村とさほど変わるものではなかったでしょうが、交通量の増大や商品流通の活発化に伴い、商人、職人など定住するものが増え、接客空間を持つ町屋が現れるなど、都市的な様相を呈するようになってきます。
例えば、東海道8番目の宿場である大磯宿を見ると、享和3年(1803)には家数605軒、そのうち269軒が短冊形の地割りにもとづき、街道の両脇に軒を連ねていました。職業別に見ると、本陣が3軒、大中小の旅籠が合わせて85軒もありました。問屋場は2カ所で、酒食商いが55軒、諸商人が42軒、農業人が222軒、漁師が193軒、医師・針医が5軒となっています。
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図:大磯宿場絵図 |
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