渡良瀬遊水地関連情報
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渡良瀬遊水地概成100年
2022年は1922年(大正11年)に渡良瀬遊水地が概成してから100年目になります。利根川・渡良瀬川の洪水被害を軽減するため建設された渡良瀬遊水地について、建設に至った地理的・社会的要因や改修計画の概要についてご紹介します。TOPIX
「渡良瀬遊水地の成り立ち」を古図を見ながら分かり易く解説したYouTubeを掲載しました。
■渡良瀬遊水地の成り立ち【局YouTube】
■栃木市 渡良瀬遊水地ハートランド城 渡良瀬遊水概成100年企画展【R5.3.12~ 常設展示となりました】
渡良瀬遊水地が「建設と環境の両立を具現化した歴史的な土木文化遺産」として、令和4年度土木学会選奨土木遺産に認定され、記念したイベントが開催されました。(令和4年11月9日更新)
■渡良瀬遊水地が土木学会選土木遺産に認定
関係機関と連携して、明治時代の改修図面や遊水地に関する各種パネルを展示しています。
■国土地理院 地図と測量の科学館 特別展示(R4.10.18~R4.12.18)
詳細は下記をご確認ください。
■渡良瀬川遊水地ラムサール登録10周年記念シンポジウム ギャラリー展示(R4.7.3)渡良瀬遊水地の成り立ちについて
渡良瀬川の変遷
利根川の東遷事業によって渡良瀬川の流れが変りました。
渡良瀬川の水害と遊水地化工事
様々な要因によって水害に見舞われた渡良瀬川下流部は遊水地化されました。
遊水地改修計画概要
渡良瀬川改修にともない河道拡幅、無堤部の新堤築造、旧堤拡幅、新水路掘削などを行いました。
工事概要
明治43年度に施工準備に着手し、大正11年度に概成します。
渡良瀬川改修竣工記念
渡良瀬遊水地には竣工を記念して3箇所(加須市、古河市、栃木市)に石碑が建てられています。
年表
1.渡良瀬川の変遷
約1000年前の渡良瀬川(古名:太日川)は群馬県、栃木県の県境界にある皇海山に源を発し足尾の水を集めて、太田市の毛里田町から現河道の南の矢場川を流れて、朱間沼(赤麻沼)、寒川及び思川の水を集めて古河市の西を流れ、古河市の西方で利根川の旧派川であった合の川に連なり、現在の庄内古川筋を通り、金杉から流山・松戸・市川の町を過ぎ、現在の江戸川の河道を流れていた一つの水系であった。一方、利根川は主に大落古利根川の流路をたどり現在の隅田川から東京湾に注いでいた。利根川水系古代(約1, 000年前)想定図
しかし、江戸初期の利根川東遷事業により利根川が江戸湾から銚子の太平洋に注ぐよう瀬替えが行われた時に、利根川と渡良瀬川を直結させる工事が行われ、これを機に、渡良瀬川は流域面積2,602 km2、幹川流路延長108 kmの利根川水系最大の支川となった。現在の利根川と渡良瀬遊水地 2.渡良瀬川の水害と遊水地化までの経緯
利根川東遷事業の結果、水路勾配はそれまでの半分に減少し、特に利根川合流点付近においては渡良瀬川の流れは利根川よりも緩やかとなり、渡良瀬川の流水に大きく影響を与えるようになった。これ以降、洪水時には利根川との合流点付近に流水が停滞し氾濫、被害が増加していったが、このことは、天明3年の浅間山大噴火により噴出した土砂が流入し利根川の河床を上昇させたこともその1 つとして挙げられる。
更に明治時代中頃からの渡良瀬川上流に位置する足尾銅山における煙害や大規模な山林伐採・山火事等で水源が荒廃し、土砂の流出と相まって、しだいに河床が上昇し洪水の疎通が妨げられて自流そのものが流下できづらくなったこともある。また、利根川の水位が高い場合には、利根川の流量の一部が渡良瀬川及び思川の流水と共に赤麻沼及びその付近一面の広野に逆流した。
このため、各支川の上流部もその影響を受け高水の疎通が阻害され、所々で破堤が生じ、水害区域は益々膨大となり、湛水時間もかなり長期にわたった。
渡良瀬川改修記念碑として建てられた石碑(大正6年・現北川辺町柏戸)には、天明6年(1786)~明治43年(19 10)までの125年間に27回85カ所に及ぶ破堤があったことが刻まれている。
明治時代中期以降は、洪水時には足尾銅山から鉱滓が渡良瀬川に大量に流れ込み、洪水の破堤氾濫によって周辺の農地に拡散し害を与えた。このように、渡良瀬川下流部一体は、毎年のように洪水被害を受け、これを増幅した形での鉱毒論争が大きな社会問題となった。
明治35年8月の洪水で渡良瀬川下流部の谷中村の堤防が決壊。同年9月26日の洪水(足尾台風)では渡良瀬川が大洪水となり、谷中村周辺地域が一望の湖水になるほど各地で大きな被害を受けた。
明治35年から渡良瀬川下流部の改修構想が具体化したが、当時、渡良瀬川は国の直轄河川ではなかったため、遊水地予定地の買収は栃木県が担当し、国はそれに補助を出すこととなっていた。栃木県は谷中村の買収を進めたが、谷中村移転には最後まで反対する人や帝国議会でも問題になり、最後は日本で最初の土地収用法による強制執行が明治40年に行われた。
明治35年9月28日洪水の主要破堤ヵ所、氾濫流 渡良瀬川下流部の浸水区域(氾濫時)
3.遊水地改修工事概要
明治43年、渡良瀬川が直轄(国)に移管された後、第26回帝国議会の協賛を経て、同年から渡良瀬川及び遊水地の改修工事が開始されることとなった。
渡良瀬川、思川、巴波川は従来より迂曲、狭阻かつ弱小堤や無堤、霞堤が多く、一度豪雨があれば破堤、越水による被害が生じていたが、渡良瀬川改修にともない河道拡幅、無堤部の新堤築造、旧堤拡幅がなされ、上流からの洪水疎通が良好に出来るようになった。また、遊水地に流入する谷田川及び与良川等の平地河川は、従来渡良瀬川、利根川の増水により逆流していたが、樋管等により逆流を防止することができた。これにより従来は常時冠水していた低地も開発できるようになった。
また、遊水地により渡良瀬川、思川の高水流量が調節され、利根川本川の高水軽減により、利根川の水位低下を図ることが可能となった。
渡良瀬川下流では、激しい蛇行河道を形成していた「海老瀬の七曲がり」と呼ばれている箇所を廃止させ、藤岡地先に新水路が開削された。洪水の被害は大幅に激減され、低地においても開拓され、美田とすることが可能となった。
同じく、思川も野木村友沼より下流及び巴波川の部屋村より下流は迂曲が著しく氾濫被害が多く発生していたが、新水路を開削することにより洪水疎通が良好となった。
また、越名(こえな)沼や板倉沼等も渡良瀬川の改修工事結果、その後排水路を整備することにより新たに開拓が可能となった地域である。
改修前の渡良瀬遊水地周辺図 渡良瀬川放水路・遊水地概略図 4.工事概要
工事は、明治43年度に施工準備に着手し、翌44年度から土地買収調査を開始した。施工は、大正元年度にまず古河町下流の新川(新河道)の開削工事に着手し、逐次遊水地周囲堤の築造及び藤岡新川(藤岡台地)の開削並びに思川、巴波川の新川付替工事等、主として下流部における諸工事を進めた。
大正5年度、古河町下流の新川及び高座口下流の新思川を貰通し、更に同6年度は部屋村(藤岡町)下流の新巴波川、同7年度は藤岡新川の開削を完成させた。これにより藤岡下流の遊水地周囲堤及び下流部におけるそれぞれの重要工事は完成し、その後は主として藤岡上流の渡良瀬川及び思川高座口より上流部における諸工事を施工した。
藤岡から下流部の残工事及び遊水地方面の工事は大正 11年度までにほとんど完成させた。
渡良瀬遊水地工事履歴 渡良瀬川改修築堤位置図 工事状況石川地先機械掘削工事状況 海老瀬築堤工事・人力締固め 思川浚渫・赤麻号・奥には野木レンガ工場 藤岡新水路通水状況 新巴波川水路(大正9年6月26日) 思川新水路築堤野木築堤機関車運搬
(大正4年3月9日)5.渡良瀬川改修竣工記念
渡良瀬川の改修工事の完成を記念し、関係者有志により古河市船渡地先の三国橋上流の堤防下に「渡良瀬川治水紀功碑」と、事業に携わり亡くなられた人のために「渡良瀬川改修殉業諸氏記念碑」が建てられている。この地は、渡良瀬川治水工事記念事業として治水記念公園を整備した地である。碑文には渡良瀬川の沿革、足尾鉱毒事件、谷中村事件で全国に渡良瀬の名が知れ渡ったこと、明治29年、明治35年等の洪水を受け、明治43年より渡良瀬川改修工事着工に至る経緯及び事業の概要について記されている。また、藤岡町(現:栃木市)の新川開削部の藤岡大橋下流右岸にも「渡良瀬川改修記念藤岡公園」の碑が、北川辺町(現:加須市)柏戸には「渡良瀬川改修記念碑」が建てられている。
渡良瀬川治水紀功碑(古河市) 渡良瀬川改修殉業諸氏記念碑(古河市) 渡良瀬川改修記念藤岡公園碑
(藤岡町:現栃木市)渡良瀬川改修記念碑
(北川辺町:現加須市)
大正11年頃作成 渡良瀬川改修竣工図 6.年表
年 次 内容 出来事 1.明治以前の渡良瀬川 文禄3年~承応3年(1594~1654)・利根川の東遷 渡良瀬川は利根川の支川となる 天明3年
(1783)・浅間山大噴火
・利根川への土砂流入2.明治以降の渡良瀬川 明治23年
(1890)・8月の洪水氾濫により鉱毒被害が顕在化して、社会的な問題となる 明治29年
(1896)・9月 渡良瀬川大洪水 明治30年
(1897)・2月 「渡良瀬川沿岸堤防改築請願」4県総合足尾鉱業停止同盟事務所
・館林住民内閣府総理大臣に「渡良瀬川治水に付建議」を提出し、藤岡大地開削により赤麻沼に流す計画を主張明治32年
(1899)・思川下流部乙女放水路計画7.8km(野木町、古河町、茨城県の反対) 明治35年
(1902)・第二次鉱毒調査会で遊水地計画が議論
・9月 足尾台風明治38年~40年
(1905~1907)・谷中村買収(栃木県) 明治41年
(1908)・遊水地河川区域告示 明治43年
(1910)・3月 渡良瀬川改修第26回帝国議会の協賛を得る
渡良瀬川改修計画策定
・4月 渡良瀬川直轄の改修施工準備に着手
・8月 利根川、渡良瀬川大洪水明治44年
(1911)・1月 渡良瀬川改修事務所設置(古河市船渡)
・5月 古河土地収用事務所設置大正7年
(1918)・8月 渡良瀬川藤岡新水通水 大正11年
(1922)・渡良瀬遊水地概成
渡良瀬遊水地の概要
現在の渡良瀬遊水地は、洪水調節施設として3つの調節池を有しており、下流に流れる水の量を減らし、河道の負担を軽減しています。
第1調節池にはハートの形をした渡良瀬貯水池があり、首都圏への生活用水の補給や河川の水量調整などの働きを有しています。
また、国際的に重要な湿地の基準に該当したとして、2012年7月にラムサール条約登録湿地となっています。
渡良瀬遊水地の概要
パネル等データ
渡良瀬遊水地の概要を取りまとめたパネルデータです。ご自由にご活用いただけます。
1.渡良瀬遊水地の成り立ち
2.渡良瀬川遊水地による洪水貯留効果
3.渡良瀬遊水地の自然環境
4.渡良瀬遊水地の湿地創出の取り組み