昭和49(1974)年9月1日(月) |
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まさに防災の日。高知県に上陸した台風16号はこの日、すでに関東地方に大雨を降らせていました。
昼頃には雨量は300ミリを超え、午後1時ごろ二ケ領宿河原堰の左岸の護岸が、2時ごろには堤防が崩れ始めます。
夕方6時頃には住民の避難が開始。
夜8時には警戒水位を越え、そしてついに夜の8時半、全長80mにわたって堤防が決壊。水防団の努力もむなしく、洪水流は住宅地を浸食し、深夜に民家の流失が始まりました。
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9月2日(火) |
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この日の早朝までに、洪水流は8軒の家を押し流していました。
そして朝6時、濁流の進路を変えるため、二ケ領宿河原堰の爆破が狛江市によって要請されます。
午後2時半、第1回目の爆破。しかし、堰はビクともせず、堰がいかに頑丈につくられていたのかを以後3日間、9回にわたった爆破によって皮肉にも証明してみせました。
その間にも、次々と民家が濁流に飲み込まれていき、翌日の午後2時までに19戸が流されました。
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9月3日(水) |
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この日、2回目、3回目の爆破が決行。2回目は失敗に終わったものの、3回目にしてようやく、わずかながら爆破部分を越えて水が流れ出しました。
すでにテレビ、ラジオなどのメディアを通じて、この水害のようすは全国に放送され、民家が飲み込まれ、堰が繰り返し爆破される映像が見る人にショックを与えていました。水害のおそろしさをリアルタイムでありのままに見せた最初の水害でした。
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9月4日(木) |
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この日だけで、爆破はなんと6回にわたって決行され、夜8時、トータル9回目でようやく濁流が爆破部分から流れ出し、最大の難関を乗り越えました。 |
写真提供:毎日新聞社 |
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9月5日(金) |
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夕方、ようやく流出の危険が去ったと発表されました。破堤した堰の仮堤防工事が早速進められました。 |
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9月6日(土) |
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夜7時ごろ、仮堤防工事終了。1日から24時間体制で行っていた牛枠や根固めブロックの投入、堤防の締め切り工事でした。同じく12時、避難命令が解除され、堤防決壊260m、流出家屋19戸という結果を残して、ほぼ1週間にわたった狛江水害は一応のピリオドを打ちました。
その後本堤防の復旧工事が、建設大臣の要請で14日完了という短い工期で行われ、多くの関係者の助力のもと、無事終了しました。
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