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「多摩川改修工事」ーきっかけは「アミガサ事件」 |
大正3(1914)年9月16日未明。今の川崎市幸区、中原区に住む住民が「多摩川に一刻も早く堤防を」と訴えて、神奈川県庁に押し寄せた。
明治40(1907)年と3年後の明治43(1910)年、立て続けに多摩川で大洪水が起こり、特にひどい被害をこうむったこの人々にとって、築堤は長年の悲願でさえあったのじゃ。この時、彼らがアミガサをかぶっていたことから、この事件を「アミガサ事件」と呼ぶ。
この事件は有吉知事による築堤(→P10「有吉堤」も見よ!)、各所での多摩川改修請願運動に飛び火して、多摩川改修工事へと実を結ぶことになった。つまり、多摩川で最初の本格的かつ大規模な改修工事は、流域の住民からあがった声がきっかけだったのじゃ。
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ここで手がつけられたのは…
水害が特にひどかった下流部22km、
河口から二子橋の上流までじゃ
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工事の経過をざっと説明してしんぜよう。 |
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まず、大正9(1920)年度から人力による掘削に着手。 |
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翌年大正10(1921)年には機械での掘削に切りかえ、築堤工事が始まった。 |
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大正12(1923)年には護岸工事に着手。 |
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大正13(1924)年には川の中のドロを機械でさらう工事が始まる。
年号が変わって昭和2(1927)年には水門や樋管などの付帯工事に着手。 |
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昭和8(1933)年には、改修工事のすべてのスケジュールが終了した。 |
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掘削、しゅんせつした土砂
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752万3732m3(東京ドーム6杯分)
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堤防の延長
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左岸19,911m 、右岸19,278m
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陸閘の数
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4箇所
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堤防内につくった階段の数
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213ヵ所
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護岸の数と延長
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7ヵ所・5,752m
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水門建設などの工事
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37ヵ所
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総工費
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約1,100万円
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とにかくそりゃもう、いろいろな工事をしたのじゃ。
今でも見ることができる改修工事の名残というと六郷水門や川崎河港水門。
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舟運がさかんだった改修工事当時、この2つの水門を残して、他の派川はすべて締め切った
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六郷水門
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川崎河港水門
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多摩川治水記念碑の裏面には、多摩川改修工事に関わった人々の名前が刻まれている
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