過去の水害

暴れ川だった鶴見川

鶴見川の特徴は、河道が蛇行しており、市街化が進んだことで保水力・遊水力の高い森林や田畑が減ってしまい水害が起こりやすいこと。そのため鶴見川流域は古くから洪水氾濫を繰り返してきました。

発生年月 被害状況
昭和13年6月 床上浸水:約4,000戸、床下浸水:約7,800戸
昭和16年7月 床上浸水:2,140戸、床下浸水:4,590戸
昭和33年9月 全半壊・床上・床下浸水:20,000戸以上
昭和41年6月 床上浸水:6,780戸、床下浸水:11,840戸
昭和46年8月 床上浸水:93戸、床下浸水:1,240戸
昭和48年11月 床下浸水:34戸
昭和49年7月 床上浸水:330戸、床下浸水:780戸
昭和51年9月 全半壊:16戸 床上浸水:1,210戸、床下浸水:2,730戸
発生年月 被害状況
昭和52年9月 半壊:4戸 床上浸水:440戸、床下浸水:650戸
昭和54年10月 床上浸水:80戸、床下浸水:370戸
昭和56年10月 床上浸水:6戸、床下浸水:280戸
昭和57年9月 床上浸水:910戸、床下浸水:1,800戸
平成元年7月 床上浸水:7戸、床下浸水:190戸(内水被害のみ)
平成3年9月 床上浸水:27戸、床下浸水:30戸
平成6年8月 床上浸水:1戸、床下浸水:11戸(内水被害のみ)
昭和10年7月 床上浸水:64戸、床下浸水:73戸(内水被害のみ)

昭和以降、鶴見川流域の主な水害

昭和13年(1938年)6月洪水

 鶴見川改修の必要性が初めて取り上げられたのは明治43年(1910年)のことでした。その年の大洪水により大きな被害を受け、同年に設置された臨時治水調査会での審議により、国の直轄事業として改修工事を施工すべき全国65河川の1つに選ばれました。
 しかし、すぐに改修に着手とはならず、その後も幾度となく流域に水害をもたらした鶴見川ですが、被災家屋約11,800戸に及んだ昭和13年(1938年)6月洪水の水害を契機に、昭和14年(1939年)国による改修事業が始まります。改修計画を策定し、鶴見川下流部及び支川での築堤、掘削、浚渫、護岸などの工事を進めました。
 しかし、間もなく戦争の時代に突入し、戦後も極度の物資不足などで工事は停滞していました。

昭和13(1938)6月の洪水 横浜市港北区
大倉精神文化研究所(現大倉山記念館)屋上より撮影

写真提供:大倉精神文化研究所

昭和13(1938)6月の洪水
横浜市港北区大倉山

写真提供:大倉精神文化研究所

昭和41年(1966年)台風4号

横浜市鶴見区上末吉町付近

昭和51年(1976年)台風17

横浜市港北区新羽町付近

昭和57年(1982年)台風18

鶴見川橋