国土交通省 関東地方整備局
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江戸時代、1800年頃、霞ヶ浦の洪水を直接鹿島灘に放流するための掘割を居切(現在神栖町)に開削しようという計画が持ち上がります。何度も計画が提出されますが、実現されないままに時代は江戸から明治に移り、明治2年(1869年)ようやく着工の運びとなります。数々の困難の末、明治4年(1871年)7月に工事は一応の完成を見ますが、鹿島灘の荒波のため海岸口が埋没し、結局用水路として利用されることになりました。本来の目的を果たしたのはただ一度、明治43年の大洪水のときだけです。