荒川を知ろう
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荒川の昔
現在の荒川は、熊谷市の西の方から流れ、東京湾に流れこんでいます。
しかし、大昔からこの流れだったというわけではありません。
- 江戸時代より前は、東京湾に流れこんできた利根川の支川で、現在の元荒川の流れでした。
- 江戸時代になると、熊谷市久下あたりから新しく川の道がつくられ、和田吉野川と合わせて入間川と繋(つな)がれました。
- 昭和になると荒川放水路(ほうすいろ)をつくったり、まがりくねった川の流れを直線的になおしたりしました。
人工の川「荒川放水路(あらかわほうすいろ)」
明治43年8月に発生した洪水の被害は甚大(じんだい)で、堤防を越えて街に水が大量に溢(あふ)れ出たといいます。
このような大洪水の被害を二度と繰(く)り返さないために計画されたのが人工の川「荒川放水路」。上流から流れてくる荒川の水を、隅田川と放水路に分けることで、隅田川に集中していた洪水を分散(ぶんさん)させました。