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渡良瀬川の砂防事業

防災機能の充実と美しい自然環境の復元のために砂防事業を行っています。

砂防事業の経緯

渡良瀬川流域における直轄砂防事業は、森林の乱伐や足尾銅山の煙害などにより荒廃裸地化した山々からの土砂流出により災害が頻発したことから、昭和12年より着手しています。
また赤城山系における直轄火山砂防事業は、昭和22年のカスリーン台風により各所で山腹崩壊が生じ、崩壊土砂が不安定な状態で渓床に堆積していることから、土砂の再移動などによる被害を防止するために昭和25年より着手しています。

大畑沢緑の砂防ゾーン

足尾銅山の概要

足尾鉱毒事件

足尾銅山は、1610(慶長15)年に発見され、徳川幕府の財政を支えました。
足尾で採掘された銅は、日光東照宮や江戸城を建造したときにも使われただけでなく、オランダや中国などへも輸出されました。
1877(明治10)年には、古河市兵衛の経営となり、鉱山の近代化に成功、産銅量7万斤(約42トン)だったものを、明治24年には、1270万斤にも伸ばしました。
大正初期には、足尾町の人口が栃木県内で、宇都宮に次いで2番目となり、東洋一の銅山として栄えました。
足尾鉱毒問題は、明治24年に栃木県選出の衆議院議員、田中正造の国会質問に取り上げられ、大きな社会問題になりました。
渡良瀬川流域の田畑では、銅山からの鉱毒により、収穫が激減し、深刻な問題が発生しました。
また、上流域の足尾山地では、足尾精錬所から排出された亜硫酸ガスの煙害等により、年とともに荒廃が進み、やがて草木の生えない裸地となってしまいました。これにより渡良瀬川上流域にあった松木村は廃村。煙害は、銅山が閉山する昭和の後半まで続きました。

砂防事業の整備方針

砂防事業の整備方針

渡良瀬川上流域の荒廃が著しい栃木県日光市足尾町では、砂防堰堤、山腹工などの整備が進められています。
また、周辺の山腹では、NPO法人との連携やボランティア及び小中学生の体験学習による植樹などによって緑が復元されています。
赤城山東斜面や桐生市の山田川においても、局所的な集中豪雨に対する土砂災害対策を進めていきます。
渡良瀬川上流域には、さまざまな生物が生息しており、こうした環境を保全していくため、流域の環境調査等を行い、周辺の景観と調和を図りながら、砂防事業を進めております。

渡良瀬川での様々な砂防事業

砂防事業マップ
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