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外環千葉県区間

  • 外環千葉県区間半世紀の歩み

    第1章 計画の具体化と凍結、再検討

    首都圏を変える道路として計画

    高度経済成長期、人口や産業等が高密度に集積する首都圏では、慢性的な交通混雑によって、都市機能が著しく低下している状況にありました。こうした背景の中、1963年(昭和38年)に、首都圏の道路交通の骨格として、3環状9放射のネットワークが計画されました。
    外環は、東京都心から約15kmの圏域を環状に結ぶ延長約85kmの道路して構想され、千葉県松戸市から市川市にかけての千葉県区間は、1969年(昭和44年)に都市計画決定し、翌年に事業化されました。

    都市間高速道路整備構想 都市間高速道路整備構想(昭和38年)(出典:国土交通省資料)
    道路需要を高めたモータリゼーション

    [TOPICS] 道路需要を高めたモータリゼーション
    環状道路など道路ネットワーク整備の必要性が高まった主な要因となったのが、1960年代頃から急速に発展したモータリゼーションです。自動車の利便性・国民生活水準の 向上等により、国内の乗用車保有台数は1989年(平成元年)には3,000万台を突破し、20年前の約6倍になるなど急増したため、首都圏では交通渋滞が慢性化していきました。

    地域からの反対を受け事業は凍結、再検討へ

    都市計画決定後の1971年(昭和46年)から翌年にかけて、計画ルートが住宅の密集地・文教施設が多い場所を通過し、交通公害によって生活環境が破壊されること等を理由に、市川市議会、松戸市議会、千葉県議会において、計画の凍結、再検討や建設反対の請願が採択され、約7.3万人分の建設反対の署名が千葉県議会に提出されるなど、地域から計画受け入れ反対の声が挙がりました。
    こうした状況の中、1973年(昭和48年)当時の建設大臣が衆院建設委員会において「県、市、住民が反対なら一時やめるべき」と答弁し、事業は凍結、再検討に向かって動き出しました。

    当時の広報いちかわ(昭和50年)・千葉日報(昭和48年) 当時の広報いちかわ(昭和50年)・千葉日報(昭和48年)
    旧都市計画標準横断図 旧都市計画標準横断図

    [TOPICS] 当初の都市計画で生じた課題
    当初の計画は高速道路部が高架構造となっていました。当時は公害や環境破壊が全国的な社会問題になりつつあったこともあり、地域からは多くの通過車両による大気汚染・騒音・日照などの公害、街の景観や自然への影響、道路による市内の分断、多くの市民の立ち退き等を懸念する声が多く挙がりました。

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