事務所紹介・連絡先・案内図
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関技の歴史
機械整備事務所から技術事務所への過渡期(昭和37~40年度)
昭和30年代後半になると、建設事業量はさらに増大し民間の体力も強化されたことから、当時の河野建設大臣を中心とした国の建設機械保有是非論が起こります。昭和39年、機械整備事務所は、船橋工作事務所を合併し、「施工改善の調査試験」を業務主体とする東京機械事務所へ移行しました。これまで蓄積したノウハウを基に、当時民間では取り組まれていなかった道路維持作業、除雪等の施工改善検討や、当該作業の派遣施工を行うとともに、鉄塔等の製作も行いました。
北陸雪害対策派遣(除雪作業状況)[左]、(使用されたブルドーザ)[右](昭和37年度)
ヒータプレーナ性能試験状況(昭和37年度)
ガードレール清掃車(昭和39年度)
法面草刈機開発1号機の施工状況(昭和40年度)
宇都宮国道50m鉄塔(昭和39年度)