砂防と災害
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地域別災害情報
武川村(現北杜市武川町)
8月14日未明にすでに武川村柳沢の集落では浸水被害が発生し、山高地内の大武川堤防は決壊しました。
14日6時ごろ駒ヶ岳前衛の、黒戸山の8合目付近から下方へ数百ヘクタール、両面が削り取られ、8キロメートル四方にとどろく大音響を伴って大崩落しました。そのころ柳沢集落の天神森の堤防が50メートルぐらい決壊して、大武集落の12戸は流失しました。
大武川は7時35分、釜無川との合流付近の、上河原堤防および大武川橋両岸堤が破られ、付近に浸水被害を及ぼしました。
そのころ、大武川上流では、黒戸山の崩壊した土砂によって水がせき止められていたらしく、一時、水かさが下がっていましたが、7時40分大音響とともに高さ3メートル以上もあるかと思うような山津波が、流木を立てたり、横にしたりしながら、大武川を流れ下り、柳沢集落上の堤防が切れて、柳沢集落に流れ込みました。流失した駒城橋の、30メートルぐらいだった所の川幅は300メートル以上にもなり、河原には直径3.5メートルもある巨石が累々としていました。柳沢の集落では死者3、行方不明1名の被害を受けました。
濁流はさらに大武川を下り、8時ごろには大武川橋より上流の大武川南側堤防を一気に決壊させ、新開地・牧原を襲いました。このため45軒の商店のうち36軒が流失し、死者3名、行方不明7名を出したのです。新開地は昭和に入ってから開かれた所で、その付近は昭和34年まで水害を経験したことのないところでした。このため、避難していなかった人や避難しても、物を取りにいったん戻った人がおり、被害にあったようです。
一方、小武川でも14日7時すぎより濁流が流れ下り、小武川橋で流木がつまり、あふれた濁流が宮脇の集落を襲い、死者1、行方不明2名の被害を出しました。その後、7時20分ごろ小武川橋が流失し、水が引いたため、宮脇で濁流にのまれていた2名は難をのがれることができたようです。
武川村全村では死者13名(来訪者1名を除く)、行方不明10名、全壊流失家屋132戸であった。なお大武川橋、釜無川橋をはじめ全ての橋が流失してしまったため、武川村は、21日に仮橋ができるまで約一週間陸の孤島となりました。
(1)山高地区 大武川の荒廃状況
※出典 山梨県土木部(1963)「昭和34年土木災害記録集」、又新社
(2)柳沢地区 いたるところ土砂とゴミの山
※武川村役場(現北杜市武川総合支所)提供
(3)牧原地区 集落の流失後に残った大転石群
※出典 山梨県土木部(1963)「昭和34年土木災害記録集」、又新社
(4)釜無川橋 流木にうずまる橋脚
※武川村役場(現 北杜市武川総合支所)提供
(5)宮脇地区 小武川の堤防流失
※出典 山梨県土木部(1963)「昭和34年土木災害記録集」、又新社