砂防と災害
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地域別災害情報
韮崎市
韮崎市
8月13日朝から強い雨が降り続け、13日夕方にはすでに韮崎駅周辺で数百戸の浸水被害が発生していました。翌日になると雨が強まり、釜無川の水位が上昇し、4時10分ごろには入戸野つり橋、6時ごろには当時既に永久橋であった舟山橋の東詰が流失しました。7時20分ごろには、穴山三軒茶屋堤防が決壊、7時55分ごろには桐沢橋が流失し、朝8時ごろ祖母石集落北方の堤防がついに決壊して、富士川の濁流は土砂と流木をまじえ約2メートルの水の壁となり、祖母石全集落を襲い、水位は一階家をすっぽり水にうずめ、二階家の窓近くまで達したところもありました。祖母石は戸数116戸、人口538名でしたが、被害は死者4、行方不明4、全壊家屋6、流失家屋17を出しました。濁流はそのまま約500メートル下流の一ッ谷集落に流れ込み、死者3、行方不明8、全壊家屋4、流失家屋6を出しました。祖母石の集落は一気に押し流され、水防作業中で逃げ遅れ、堤防で取り残される人、家とともに押し流される人、さらには水害のさなか火災も発生し、まさに悲壮な状態でした。
8時半ごろ、今度は武田橋西側堤防が流失し始め、続いて韮崎中学校近くの武田橋は9時に流失しました。それより上流の穴山橋も9時ごろ流失しました。さらに、10時10分に武田橋東側の韮崎中学校西側堤防が決壊し、韮崎町本町一帯の大通りへ濁流が流れ込み、一時は町全体が、押し流されそうな状態となり、全壊4、流失18、床上床下浸水946戸の被害を及ぼしました。全市では死者8、行方不明12、全壊96、流失49、床上床下浸水1263戸でした。
(1)穴山町地区 決壊した富士川左岸
※出典 山梨県土木部(1963)「昭和34年土木災害記録集」、又新社
(2)祖母石地区 激流にのまれる集落
※出典 山梨県土木部(1963)「昭和34年土木災害記録集」、又新社
(3)一ッ谷地区 とり残された集落
(4)韮崎市 市街地を狂奔する濁流
※出典 山梨県土木部(1963)「昭和34年土木災害記録集」、又新社
(5)武田橋の流出状況
※出典 「青竹食堂」提供