第2節

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 粧坂を過ぎると大磯宿へ入る。

 かつて宿内神明町と北本町の町境(現国道一号より大磯駅に至る道ぎわ)には
土手が築かれ、家並がこの土手により分断されていた。

 この土手は火除けのためで、天保七年(1836)九月、五百軒あまりを焼失した大磯宿大火後、安政三年(1856)以降に築かれたという。

 宿内北本町山側に、
北組問屋場跡。また、北本町のほぼ中央海側にある延台寺には、曽我十郎身代わり石と称する「虎御石」がある。

 北本町と南本町の町境、街道山側の
地福寺門前入り口の両側に本陣があり、北本町は小島本陣、南本町は尾上本陣と称した。また南本町海側に石井本陣南組問屋場があった。

 ここを過ぎると、東海道は大きく山側に折れ曲がる。山側には高札場跡があり、街道を隔てた反対側に
鴫立庵がある。




鴫立庵



           M鴫立庵



            鴫立庵







G延台寺の虎御石
延台寺

虎御前のもとに通う曽我十郎が工藤祐経に矢を射かけられた時、この石が防いだとされ、長さ二尺一寸(約60cm)幅一尺(約30cm)重さ三十六貫(約135kg)ほどの大きさがある。







F地福寺
地福寺
真言宗京都東寺末の古刹で、かつて家康が利用した「御茶屋」があったところといわれる。また境内には島崎藤村の墓がある。








                 E小島本陣跡

    J尾上本陣跡
   尾上本陣跡     小島本陣跡



                




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