第2節

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B平塚見付跡
平塚見付跡




        K東組問屋場跡
     東組問屋場跡
問屋場は二十四軒町と西仲町にそれぞれ1カ所あった。宿役人は問屋3名、年寄6名、帳付11名、馬指6名、人足指6名で構成され、二十四軒町と西仲町の問屋場に毎月10日毎に問屋1名、年寄1名、帳付3名、馬指2名が交替で勤めた。





        H西組問屋場跡
        問屋場跡



 つて平塚新宿の西端から平塚宿との間には、長さ二町三十二間(約270メートル)ほどの松並木があり、これを過ぎて平塚宿の宿内に入った。

 現在、平塚市民センターのところに江戸方見付跡の碑が立っている。東海道の左右には民家が並び、その長さは九町五間(約1キロメートル)、道幅四間一尺(約7メートル)から六間(約11メートル)であった。

 宿内は江戸方から十八軒町・二十四軒町・東仲町・西仲町・柳町と続いていた。

 問屋場は、一つは二十四軒町と東仲町の間にあり
東組問屋と呼び、一つは西仲町にあり西組問屋と呼んだ。

 街道北側二十四軒町に脇本陣安兵衛、同じく西仲町に
本陣加藤七郎兵衛があった。





            E本陣跡

    本陣跡

本陣は代々加藤七郎兵衛を名乗り、建坪163坪と他宿の本陣より小規模であったことから、主として宿泊より小休のために利用されたと考えられる。



高札場跡

D高札場跡






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