土ヶ谷から戸塚方面に向かうと、ふたたび国道一号とぶつかる。そのあとは、これに接しながら進んでいくと、不動坂(ふどうざか)の信号に至る。

 ここは東海道と柏尾(かしお)通大山道(おおやまみち)の分岐点であり、小さな堂の中に
大山道の道標が残されている。
 
 
動坂の信号で、東海道は国道一号と分かれ、ほぼ丘陵の裾(すそ)に沿ったルートとなる。おそらく柏尾川沿いの低地帯を避け、最も安定したルートを選択した結果であろう。

 その後、舞岡川(まいおかがわ)に沿って進み、舞岡入り口の信号でふたたび国道一号と合流する。

 五大夫橋(ごだゆうばし)を渡り、少し進むと江戸見付前の信号がある。ここはかつての戸塚宿の江戸見付が置かれた場所で、いわば戸塚宿の江戸側の入り口にあたる。

 現在、その跡地を示す石碑が建てられている。当時、この辺りには戸塚町・矢部(やべ)町とともに戸塚宿を構成した吉田町の町並みが続いていた。

 
 さらに進み、柏尾川に架かる橋が吉田大橋である。かつては吉田橋あるいは高島橋とも呼ばれていたようで、長さ八間(約十四メートル)の大きな橋であった。

 ここは初代広重が、保永(ほうえい)堂版『東海道五拾三次』の「戸塚宿」で描いた場所である。画中には「こめや」という茶屋の看板と、「左りかまくら道」と記された道標が見える。

 この道標が示すように、この地点は東海道と、柏尾川沿いに大船を経て鎌倉へ抜ける鎌倉道との分岐点であり、多くの人々で賑わったことがうかがわれる。

 なお、この浮世絵に見られる道標と伝えられているものが、現在も近くの
妙秀寺(みょうしゅうじ)に保存されている。


@大山道の道標




A江戸方見付跡

戸塚宿の江戸側の入り口にあたる。

















吉田大橋

保土ヶ谷から戸塚まで来ると柏尾川にかかる吉田大橋が見える。橋のたもとに広重の絵が埋め込まれ、広重が『東海道五拾三次 戸塚宿』を描いた場所であることが分かる。左手前に折れると鎌倉方面、橋を渡って道なりに行けばJR戸塚駅に出る。



東海道五拾三次之内 戸塚「元町別道」
初代広重 保永堂版




横浜市歴史博物館蔵






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