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利根川の紹介

  • 決壊の記憶忘れません(歴史)

    写真・動画でみるカスリーン台風

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    利根川堤防大決壊

    破堤箇所の航空写真 破堤箇所の航空写真

    1947年9月16日午前零時20分、北埼玉郡東村(現加須市)新川通地先で、濁流に洗われていた利根川右岸堤防(写真中央上)が幅約350mにわたり大決壊。東村での利根川決壊とほぼ同時刻の同日午前零時15分、渡良瀬川堤防が川辺村(現加須市)三国橋付近(写真右上)で延長約380mにわたり決壊。堤防を崩した濁流は、埼玉県東部低地を東遷以前の利根川の流れのように流れ下り、東京東部低地(葛飾区、足立区、江戸川各区)までも水没させました。

    この写真はGHQが撮影し、米国国立公文書館 (National Archives and Records Administration : NARA)に保管されていたものが、約半世紀の時間を経て日本に戻ってきた貴重な記録写真です。

    1947年9月16日「台風による日本の洪水」

    栗橋町・大利根町付近の航空写真 栗橋町・大利根町付近の航空写真

    利根川の破堤のため洪水となった東京の約50km北の熊谷地域※の浸水した鉄道の空からの眺め。言い知れぬ損害が民家や水田にまで及んだ。洪水は前日のカスリーン台風によるもの。
    ※ここでは久喜市・加須市付近を表していると思われます。

    「日本、台風で洪水となる」

    大利根町付近の航空写真 大利根町付近の航空写真

    東京の約50km北に位置する熊谷地域※の浸水した民家および水田の航空写真。利根川破堤の様子。前日のカスリーン台風による洪水で民家や水田に計り知れない損害が加えられた。
    ※ここでは加須市付近を表していると思われます。

    「カスリーン台風で熊谷地区が大洪水」1947年9月16日

    • 埼玉県東部の航空写真 埼玉県東部の航空写真
    • 埼玉県東部の航空写真 埼玉県東部の航空写真
    • 埼玉県東部の航空写真 埼玉県東部の航空写真
    • 埼玉県東部の航空写真 埼玉県東部の航空写真

    カスリーン台風がもたらした集中豪雨で、平常時には穏やかな利根川が氾濫。堤防が決壊し、東京から約50キロメートル北にある熊谷地域※約200平方キロメートルの土地が浸水した。
    ※ここでは埼玉県東部を表していると思われます。

    「日本、台風で洪水となる」

    • 大利根町付近の航空写真 大利根町付近の航空写真
    • 大利根町付近の航空写真 大利根町付近の航空写真

    東京の約50km北に位置する熊谷地域※の浸水した民家および水田の航空写真。利根川破堤の様子。前日のカスリーン台風による洪水で民家や水田に計り知れない被害が生じた。
    ※ここでは加須市付近を表していると思われます。

    「東京の北東の洪水の猛威」1947年9月19日

    東京の北東の洪水の猛威を写した写真 東京の北東の洪水の猛威を写した写真

    絶え間なく流水する利根川の水が、東京の約55キロメートル北東の小さな町新川の木々、民家、そして文明のしるし全てを浸水させた。水から逃げ、泳ぎ、近くの丘に安全を見出すのにあらゆる手段を講じている日本人。被災者や家を失った人々が小高い場所に一時的に待機して洪水の水位が下がるのを待つ。

    「利根川洪水」1947年9月20日

    埼玉県の利根川土手の写真 埼玉県の利根川土手の写真

    東京の約50キロメートル先にある埼玉県の利根川土手を見下ろした眺め。ここで、川の水位が上がって破堤し、肥沃な畑地を浸水させ日本の民家を破壊した。

    「利根川洪水」1947年9月20日

    破堤した場所の写真 破堤した場所の写真

    東京の約50キロメートル北東、利根川の水位が上がって破堤した場所の眺め。肥沃な畑地を浸水させ、日本の民家を破壊した。

    「利根川洪水」1947年9月20日

    • 日本赤十字の船の写真 日本赤十字の船の写真
    • 日本赤十字の船の写真 日本赤十字の船の写真
    • 日本赤十字の配給の写真 日本赤十字の配給の写真
    日本赤十字の配給の写真 日本赤十字の配給の写真

    東京の約50キロメートル北の利根川の土手に、日本赤十字が置かれる。そこは、利根川が氾濫したために、肥沃な畑地に浸水し、日本の民家が破壊された場所。俵には被災者に配給される食糧が入っている。

    「利根川洪水」1947年9月20日

    一時的住居の写真 一時的住居の写真

    東京の約50キロメートル北で起きた洪水の生存者が建てた一時的住居。この洪水は、利根川の水位が上がって肥沃な畑地を浸水させ日本の民家を破壊した。

    「利根川の水位、上昇続く」1947年9月21日

    • 葛飾区の浸水の様子の写真 葛飾区の浸水の様子の写真
    • 葛飾区の浸水の様子の写真 葛飾区の浸水の様子の写真
    • 葛飾区の浸水の様子の写真 葛飾区の浸水の様子の写真

    洪水の水位を制御する努力が払われているにもかかわらず、本州の真中にある利根川は、東京の北東の葛飾区を地上約3メートルも浸水させる。家を失った日本人は堀切橋まで泳いだり、いかだで行った。そこで彼らは日本赤十字や警察や消防職員から援助を受けた。

    「松戸地区で低地へ渡される洪水」1947年9月23日

    松戸地区で低地へ渡される洪水の写真 松戸地区で低地へ渡される洪水の写真

    米国第1師団第8工兵部隊のメンバーと日本人労働者は24時間不眠不休で働き続け、遂に洪水を東京の北東の松戸地区で低地へ流すことに成功した。

    「小銭が不足」1947年9月25日

    大水害救援金募集の様子を写した写真 大水害救援金募集の様子を写した写真

    小銭が不足している理由の一つに日本の神社仏閣がある。信者たちは神社や寺に参る時、小銭を賽銭箱に投げ入れる風習がある。この写真は東京、浅草にある最古の寺の一つで、参詣客で賑わっている。

    「東京の雨」1947年9月15日

    • 電車を待つ人達の写真 電車を待つ人達の写真
    • 「雨が降り注ぐままに」1947年9月15日 「雨が降り注ぐままに」1947年9月15日

    既に満員の電車に乗れることを望み見て長蛇の列を作っている会社員や買い物帰りの人。東京に降った9月15日の大雨による交通麻痺のため、こうした光景はあちこちで見うけられた。
    東京を3日間にわたってびしょ濡れにする無常な大雨に、傘をさして買物袋を手にする主婦がとぼとぼと歩いている。

    カスリーン台風デジタルサイネージ(動画)

    カスリーン台風の記録写真を用いて、デジタルサイネージ(動画)を作成しました。
    過去の水害被害を振り返り、利根川が決壊した場合の浸水範囲の広さ、水害の恐ろしさを伝えます。
    映像時間は約5分です。是非ご覧ください。

    カスリーン台風デジタルサイネージ(動画)はこちら

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