1947 — 2027  カスリーン台風被害から80年  忘れない、伝える、備える。

あの日、
何が起きたのか。

カスリーン台⾵とはどんな台⾵だったのか、
写真と記録でご紹介します。

Typhoon

台風発生・接近

1947年(昭和22年)9月8日未明、マリアナ諸島東方で発生した弱い熱帯低気圧が徐々に勢力を増しながら北上。12日朝には硫黄島西方500kmの海上に達し、進路を北に向けました。このときの中心気圧は960mb(960hpa)、中心付近の最大風速は秒速45m、暴風半径は200kmと推定され、非常に強い台風になりました。

この台風の特徴は、あらかじめ秋雨前線によって雨が降っていたところに台風による雨が加わり、利根川流域及び荒川流域の広い範囲にわたって大量の降雨をもたらした点です。カスリーン台風は風速が弱く、雨量が異常に多いという、典型的な「雨台風」だったのです。

カスリーンと名付けられた台風

9月11日(木)

マリアナ諸島西方500㎞に中心気圧994mbの台風を米軍気象観測隊が確認、カスリーン台風と命名される。

9月13日(土)

硫黄島西方550㎞の海上を北上。本州南海上の発達した温暖前線を接近する台風が刺激し、各地で本格的な雨となる。

9月14日(日)

14日夜半になると前線が関東内陸部に入り停滞、雨が強くなる。

9月15日(月)

午後9時過ぎ、カスリーン台風は房総半島南端、館山を通過。三陸沖へ去る。

カスリーン台風の経路 昭和22年9月14日 15時天気図
Downpour

豪 雨

台風そのものは本州に近づいた時、既に勢力を弱めつつあり、進路も関東地方の太平洋岸をかすめただけだったので、強風による被害はあまり出ませんでした。しかし、台風の接近に先立って、日本列島付近には秋雨前線が停滞しており、そこに台風の湿った空気が入り込んだため前線が活発化。これにより豪雨がもたらされたと考えられています。9月13日、台風の接近に伴い、荒川流域の各地では激しい雨が降り始めました。この雨は房総半島をかすめていった15日夜半まで降り続きました。荒川流域の秩父観測所においては13日11時20分~15日20時40分に611mmという降雨量を記録。これは年間降水量の4分の1がわずか1日半で降ったことになります。

利根川流域も豪雨となり、3日間の降雨量は、利根川(湯原)、渡良瀬川(足尾)で380mmといずれも300mm以上を記録しました。特に、鳥川(三ノ倉)、鬼怒川(黒部)では400mm以上を記録しました。

カスリーン台風が接近してからの関東地方の雨量分布図、渡良瀬川、鬼怒川 上流域と烏川、神流川、荒川の上流域に大量鵜の雨んが降ったことが分かる。
Levee breach

堤防決壊

カスリーン台風が南太平洋で発生した9月8日頃、日本列島は秋雨前線が停滞していたため、2~3日間、雨が降り続いていました。そこへ北上したカスリーン台風による豪雨により、各河川ともに急速に水位が上がりました。

利根川本川では、全川にわたって計画高水位を上回り、小山水位観測所 (107km)より上流では既往最高水位を記録。利根川の決壊口に近い栗橋地点の水位は16日0時20分には最高9.17mに達しました。埼玉県東村(現・加須市)の新川通地先付近では河川水位が堤防より0.5m高くなり、延長350mにわたって堤防が決壊しました。
また、江戸川では東金野井より上流で計画高水位を上回り、渡良瀬川でも全川で計画高水位を超え、その他の支川についても部分的に計画高水位を上回りました。

荒川流域においては、現在の鴻巣市で堤防が約65mに渡り決壊したのに続き、熊谷市久下地先でも約100mにわたり堤防が決壊しました。

埼玉県東村(現加須市)決壊口
埼玉県東村(現加須市)決壊口 
※当時の写真をAIでカラー化したものです
Expansion of flooding

氾濫拡⼤

16日に埼玉県東村(現・加須市)の利根川堤防決壊によりあふれ出た濁流は、かつての利根川の流路に沿って南下し、17日には荒川の堤防決壊による濁流と合流して、ついに東京都と埼玉県の境に位置する大場川の桜提をも破り、葛飾区、江戸川区に浸水範囲を広げていきました。最初の堤防決壊から5日目を数える20日午後には、多くの市区町村を飲み込んだ濁流は東京湾にまで達しました。

利根川の右岸堤防破堤による氾濫実績
The scars left by the typhoon

カスリーン台風の爪痕

このカスリーン台風による死者は1,100人、傷者は2,420人にのぼりました。特に上流域の被害が大きく、群馬県の赤城山麓や栃木県の足利市においては土石流や河川の氾濫が多発。群馬県で592人、栃木県で352人の死者が出ています。

利根川流域全体では、家屋流出・倒壊は5,736戸、家屋の浸水は303,160戸、田畑の浸水は176,789ha など、甚大な被害をもたらしました。利根川の堤防被害としては、本川及び支派川で合わせて24か所、5.9kmの堤防が決壊。このうち渡良瀬遊水地周辺の堤防は、本川からの逆流と渡良瀬川の出水により水位が異常に上昇し、13か所で決壊しました。また、決壊には至らなかったものの堤防が崩壊した場所は、全部で10km以上になりました。 各河川の決壊により、道路や鉄道、農業にも深刻な被害が生じました。地域住民は生産基盤が失われ、様々な社会活動が困難になるなど被害は甚大なものでした。

10月28日に撮影された決壊口の空撮
10月28日に撮影された決壊口の空撮 
※当時の写真をAIでカラー化したものです
決壊口の締め切り工事が完了した3日後である。決壊口の内側(川側、写真の上側)には、仮締め切り工事の跡が見える。外側(住宅地側写真下側)には、堤防決壊による激しい濁流が流し去った跡と、巨大な「おっぽり」が見える。

埼玉県の被害
浸水は一月にも及び、行き場のない人々は堤防の上で、50日も暮らした。

濁流に追われた堤防に逃れた人々
濁流に追われた堤防に逃れた人々
決壊口からほど近い国鉄宇都宮線(現JR宇都宮線)栗橋駅の惨状。水流によって砕石が流され、レールが曲がっている。
決壊口からほど近い国鉄宇都宮線(現JR宇都宮線)砕石が流され、レールが曲がっている

群馬県の被害
赤城山の土石流や渡良瀬川の決壊が多くの人命を奪った。

土石流により深く削り取られた川底、写真中央に移っている人の大きさから被害の規模が推測できる。
土石流がすべてを流し去った跡、写真中央に移っている人々の大きさから被害の大きさが推測できる。
渡良瀬川が決壊してあふれ出た氾濫水が、野球グランドのスタンドを押し流した。
渡良瀬川が決壊してあふれ出た氾濫水が、野球グランドのスタンドを押し流した。

栃木県の被害
渡良瀬川の決壊は多くの人命を奪い、大量の土砂を残した。

町中が水浸しになった足利市内の繁華街
町中が水浸しになった足利市内の繁華街
渡良瀬川の氾濫流が流れ込む足利の繁華街、町中に張ったロープに掴まらなければ歩けない。
命綱を使って街中を歩く人々

東京都の被害
利根川から遠く離れた町も水に沈んだ。

個人の荷物を浸水の危険性のない小屋の屋根の上に移動させている男性達。
運び出したわずかな荷物を屋根の上に移している人々
GHQから提供されたボートで街中の路地を進む警察官。ボートを操っているのは民間人か?
町の路地をボートに乗って進む警察官

災害は、
過去の出来事ではない。

80年前の記憶を知ることは、水害に備えることにつながります。
私たちは、カスリーン台風を教訓として、利根川を知り、備えなくてはいけません。

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