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日光の石工

■日光市内で石材店を営む沼尾氏は、日光の文化遺産をその技で支えている石工の一人。沼尾氏の足跡の一部を聞き語りと写真でたどりながら、「日光の石の文化と歴史」について改めて考えてみる。

『うちは、私がわかってる限りで、私で3代目ですね。石関係はだいぶ前からやってたんですけどね。神橋を作った「橋かけ長平」が祖先だという話もあるんですが、本当かどうかはよくわかりません。今は七里に住んでますけど、昔はここから3〜400メートルほど上だったみたいです。「橋かけ長平」がここを別荘にしていたようです。で、ノミにヤキ入れするときの炉から火事を出しちゃって、「燃え上がる」のはまずい、ここいらでは東照宮の方に向かうのを上がるというんですけど、燃え上がるのはまずいということで、下がってきたようです』

■「橋かけ長平」は重要文化財の神橋を作った人物。神橋は岸壁の石を土台として架けられた橋であり、沼尾氏の話が本当だとすると、石とのつながりもあって、大変興味深い話である。

『その火事の混乱のときに、書物、家系図や仕事帳がですね、盗まれちゃったんです。家系図なんかも売れた時代だったようですよ。それで昔のものはほとんどないんです。私も父が亡くなって調べたんです。石に関してやるようになって、私で大体6代目にはなると、父からは聞いてるんですけども。出身はわからないです。ただこの辺りで、沼尾を名乗っているのはうちぐらいなんですよね』

■男体山をはじめとする山々、稲荷川や大谷川などの河川など、自然に恵まれた日光は、豊かな石の文化の源流でもある。昔の石工たちはどんな石を使っていたのだろう?

『日光の場合、仕事に使うのは安山岩なんで、ほとんど河原の石なんで丸いんです。ものによっては六畳くらいの部屋の大きさの石がその辺にあるみたいですよ。まあそれは話に聞いただけなんでねぇ。この辺の社寺に使われている石も河原にあった安山岩ですし、でも河原に限らず、地面から掘り出してやってたみたいです。そういう大きい石を現場で割って、運んで、やってたみたいです。今は、二荒山(二荒山神社)なら二荒山の石を作業した時にストックしておいて、それを使ってます』

■職人である以上、道具の手入れも大切な仕事のひとつとなる。石工の道具もさまざまあるが、ノミなどは年に数回は自分で「ヤキを入れ」て手入れする。道具の使いはじめは、ヤ(矢)と呼ばれる道具を使って石を切り出す作業である。ハリマワシと呼ばれる大きなハンマーを使いながら、オオワリ、ナカワリ、コワリと使う石の大きさに合わせてヤジメの工程を重ねていく。

『最初に石を割る段階があるんですが、それはヤを使います。くさび状のもので、大きさはいろいろあるんですけど。まず最初にヤを入れるための穴、ヤアナを掘ってオオワリします。10センチ間隔くらいでヤアナにヤを入れて上から打ち込んで割るわけです。それをヤジメといいます。同じ安山岩でも、ヤアナを入れる間隔は石によって違うんです。大きい石ですと、ヤを20枚とか入れますし、何往復もして打ち込みます。最近は割るのもヤは使わないんですね、機械を使ってハンマードリルなんかで割っちゃうんですけどね。ただね、ヤの方が正確なんですよ、微妙な角度が変えられるんです。ドリルはゆっくりだから、どうしてもブレるんです。ヤの方がスパッといくので、ワリ肌がぶれないんです』
石工の道具
石工の道具。
ハリマワシ(ハンマー)、ノミ、ヤ

■ヤである程度の大きさに石を切り出した後、ノミを使って石肌を整えるノミツブシの作業に入る。

『最初はアラギリして、ナカギリして、上から下に斜めにはたきます。その後でノミツブシをして終わりになります。私らは「石を切る」って言うんですけど、アラギリのときはやはり大きなハンマーを使うんです。それから徐々に小さくて軽いものに変わっていくんです。このノミをうつ金槌のようなものをセットというんですけど、アラギリとナカギリは同じセットを使って作業して、ノミツブシは別のセットを使います。その辺はバランスによりますね』

■ノミで石肌をある程度整えた後に、ビシャンと呼ばれる道具で表面をたたいて、仕上げの作業に入る。四角い金鎚のような形の道具で、先の平らなところに縦横に筋が入っている。筋の数で4枚、5枚…という具合に呼んで、工程に合わせて使い分ける。この筋自体も、石工たちは自分でヤキを入れて成形している。

『ビシャンの名前の由来は、使ったときの音なんじゃないかなあと思うんですが、そこまでは調べてないです。最初はオニビシャンと呼ばれるすごく粗い道具で作業します。削り出した面に直接打ち込んでいきます。表面は、もうノミつぶしの時点でかなりきれいになってますので。ビシャンは大きく分けて3段階ですね。最初はオニビシャンから、4枚とか5枚とか7枚とか100枚とかいうのを使い分けて作業します。だんだん細かくなるっていう感じですね。最終の仕上げ具合にあわせて、ビシャンで終わらせるのか、ノミツブシで終わらせるのかということを決めています。補修の場合は、周りの石造物の仕上がり具合と合わせながら調整していくことになります』

■重く固い石でさえ悠久の歴史の前では風化はさけられない。社寺の石畳や石塀も、その歴史の中で、石工たちの技に支えられながら幾度となく修復をくり返してきた。社寺の参道や石畳を歩くとき、灯籠や石塀を眺めるとき、そこに込められた石工たちの技と息づかいが今でもそのまま感じられる。

『古いものが破損して新しく作った場合は、昔の感じの仕上げ方をしますね。手彫りで、昔のような加工をするんですよ。ちょっと機械じゃできないようなところがあります、説明しにくいんですけどね。ノミの入れ方によってかなり変わってきますから…。昔は道具も今ほど発達していなかったので、仕上げるのも大変だったと思うんですよ。石が相手ですから、力もいりますからね。ただ、やってて手彫りの方が気持ちいいです。達成感というか、機械は機械 なりの固い線しか出ませんから。仕上げの段階で人がやれば、同じまっすぐでもやわらかさが出るんです。一見まっすぐでも、昔のは人の手での仕上げですから、今見れば「何これ?」って感じですよ。昔は道具も違いましたしね。セットも昔は木槌だったようなんです。木のセットに鉄を巻いていたっていう話もあるんですよ。ヤは大きかったという話も聞きました。ゲンコツくらいの大きさだったようです。今も東照宮の石垣にはヤアナの跡が残ってますよ』
天海上人像
天海上人像の台座を制作。
大谷川の石を横に寝かせたまま彫り上げたという。

新道の石壁
山内東照宮から二荒山神社に抜ける上新道の石壁を修復。
山内北野神社の石造物群
山内北野神社の石造物群の周辺、階段、灯籠などを修復。
滝尾神社の無念橋周辺の石畳
滝尾神社の無念橋周辺の石畳、参道を修復。
石工の道具
石工の道具。セット(金鎚)、ビシャン(四角形で細かい溝のあるもの)、ハビシャン(先端の平らな歯状のもの)。
石に印をつけるスミサシ
石に印をつけるスミサシ。
大工は墨色だが、石工は赤色を使う。
 

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