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かわづくり

  • 伝統的治水施設の保全と整備

    伝統河川工法

    先人の苦労を秘めた万力林

    甲府盆地の東の要・笛吹川の万力林。後方の山は奥秩父連峰 ※1

    「万力」の地名は既に南北朝時代の文書の中に『甲州路万力県』と記されています。笛吹川の流域は山梨県の黎明期には政治の中心地であり、万力は奈良時代には山梨郷に含まれていたと思われます。前にも説明したように古代に、甲斐国の国庁が在った国府(こう)の地名で現在も残っていますが、笛吹川の氾濫から国庁を守るには差出、万力の地先で防御するのが最も有効ですので相当に古い時代から万力地先には治水の施設があったと思われます。はっきりした記録として天正11年(1583)に大洪水があり差出の堤防が決壊して、その氾濫が21ヵ村におよんだと記しています。当時、甲斐国は徳川氏の支配下にありましたが、この時より以前に堤防が築造されていた事がわかります。

    ※1:甲府盆地の東の要・笛吹川の万力林。後方の山は奥秩父連峰

    この天正11年の大洪水を契機に万力付近で河川の再改修が行われ、差出の1番出しから獺股までの間に高さ1丈8尺(約5.4m)堤防敷幅18間(32.4m)の堤防を築造すると共に木も植栽したと記録されています。江戸時代にも正保元年(1644)や元禄2年(1689)、正徳3年(1713)等と幾度も洪水はありましたが差出、万力の堤防と水防備林のおかげで被害はあまり大きくなりませんでした。いま、万力林の中を歩いてみると川の流れた跡が残っています。かつては万力堤にも山梨岡神社と甲斐二宮の美和神社から水防を祈念して「御幸」の祭りがあったといいます。万力林は幾百年もの間にわたって大切にされ現在も地元の人々を初め多くの人から見守られているのです。

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