砂防と災害
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災害の記録
昭和34年災害の記録
台風7号と15号(伊勢湾台風)の概況
●台風7号
昭和34年8月10日、マリアナ東方洋上に発生した熱帯性低気圧が北西進して、12日10時に硫黄島の南東約500キロメートルで台風7号となりました。台風7号はその後毎時50キロメートル内外に速度を速めて北上し、14日6時半頃にはついに富士川河口付近に上陸しました。その後台風は富士川に沿って北上し、猛烈な暴風雨を伴って7時ごろより山梨県に襲来したのです。
昭和34年8月12日午後から13日にかけて、前線活動による大雨が降り、河川がかなり増水していたところへ(前線による大雨がまだ終息していないうちに)台風7号の襲来となったので、河川の氾濫が続出し、明治40年以来の大水害となったのです。
総降水量と台風の進路は図-2.1のとおりです。降雨状況についてはおよそ次のようでした。
3日は台風7号の接近により、山梨県の南部では概ね15時ごろから、中心部では夕刻ごろから次第に雨が強くなり、本格的な台風の豪雨となりました。台風が300キロメートル以内に接近した14日3時ごろには、顕著な降雨のピークが現れ、釜無川流域の藪の湯では1時間に37ミリが降りました。
このピーク後、一時雨勢は弱まりましたが、台風が富士川河口付近に上陸したころより、太平洋側から降雨は急激に強くなり、特に台風が山梨県に襲来した7時から8時頃にかけては、山梨県下全域にわたって猛烈な豪雨(1時間に30ミリから60ミリ)となりました。
なおこの間の総降水量は、早川流域など山岳地帯で500ミリ以上に達しました。
※出典 日本治山治水協会(1960)
「昭和34年山梨県治山災害調査報告書
〔昭和34年台風7号〕、親和印刷」図-2.1 降水量分布図(昭和34年8月12日9時~14日9時)(甲府地方気象台調)
台風15号(伊勢湾台風)
台風7号による大災害の傷跡も生々しく、当時の恐怖がさめないうちに、9月26日、超大型台風である伊勢湾台風が襲来し、山梨全県にわたり、最大雨量487ミリ、平均最大風速29.8メートル、瞬間最大風速37.2メートルに達する暴風雨に見舞われました。
台風7号が実に59年ぶりの記録であった上に、数十年来という大暴風雨が、同じ年に重ねて襲来したことは前例に無く、従来、内陸の山国という条件から、強大な暴風雨の経験に乏しかった被災地の住民にとって、貴重な教訓となりました。
マリアナの東にあった熱帯性低気圧が急速に発達して、22日12時に、台風15号となり、23日15時には、硫黄島の南南西約600キロに達して、895ミリバールという超大型台風となったのです。
その後台風は、26日15時に時速48キロメートルと加速され、紀伊半島に向かって北北東進し、ついに18時15分に潮岬西方15キロメートル付近に上陸しました。
上陸後も台風は中心付近の最大風速50メートル(秒速)、風速25メートル以上の範囲は中心から半径240キロメートルと、強い勢力をもって60キロメー トルの速い速度で紀伊半島を縦断し、23時に岐阜県白川付近を通り、27日0時45分頃新潟県高田と糸魚川の中間から日本海に抜けました。
山梨県下の降雨状況は、伊勢湾台風の接近に伴い、25日昼頃から県下全般に降雨が始まり、26日9時までの前線による雨量は、早川流域や県の南部では、50ミリから100ミリでした。
26日12時頃より全県下に渡り台風直接の降雨が始まり、15時頃から本格的な台風の雨となりました。その後雨勢はますます強くなり、21時頃から23時頃にかけて県の南部や西部の早川流域と、富士川上流の長坂付近に集中的な豪雨があり、21時から22時までの1時間に御殿山では81ミリ22時から23時までの1時間に、雨畑で61ミリの強雨を記録しました。
24日以来の総降雨量は、図-2.2のように西部山岳地帯を含む早川流域と、東部山岳地帯に多く300ミリを超え、特に雨畑では487ミリ御殿山では439ミリの大雨となったのです。
※出典 山梨県土木部(1963)
「昭和34年土木災害記録集」、又新社図-2.2 降水量分布図(昭和34年9月24日~26日)
台風による被害の概況
●管内の概況
昭和34年台風7号による水害は、明治40年以来の大水害でしたが、その特徴は山崩れによる多量の土砂と流木を交えた濁水の氾濫が多かったことです。特に水害の中心は、山梨県西部の韮崎市から富士川上流に集中し、大武川の氾濫では、武川村で128戸が一瞬にして濁流に飲まれ、23名の死者及び行方不明者を出したのをはじめ、山梨全県下で流失全壊家屋1911戸、死者行方不明者89名に達しました。また、長野県富士見町でも山津波によって、死者・行方不明者 19名を出しています。
台風15号は、山梨県周辺では台風7号よりも少ない降雨量でしたが、強風のため、多くの家屋損壊を発生させました。また、台風7号によって堤防が破壊されていたところは、再び河川氾濫による浸水被害を受けました。昭和34年台風7号及び15号による被害
市町村 死者 行方不明 重傷 軽傷 全壊 流失 半壊 床上浸水 床下浸水 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 7号 15号 韮崎市 8 1 12 9 96 36 49 10 76 68 568 430 695 423 芦安村 8 2 4 10 15 8 7 4 5 6 武川村 13 10 2 1 10 4 3 128 2 21 10 19 3 75 13 白州町 3 1 4 7 3 16 33 16 40 32 6 13 25 双葉町 1 10 25 9 40 69 18 65 2 明野村 2 2 35 4 27 29 26 須玉町 1 1 2 28 21 57 6 88 高根町 2 4 1 57 27 91 80 長坂町 1 13 1 19 大泉村 8 1 19 小淵沢町 21 80 40 早川町 2 2 2 3 7 29 16 7 25 11 78 24 5 32 24 富士見町 18 1 2 7 2 3 24 10 1 232 132 45 3 371 150
※参考
山梨県土木部(1963)「昭和34年土木災害記録集」、又新社
各市町村誌 富士見町「消防団のあゆみ」
山梨県総務部広報課(1962)「昭和34年災害誌」、少年民社