国土交通省 関東地方整備局 甲府河川国道事務所
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かわづくり

  • 伝統的治水施設の保全と整備

    甲州舟運

    富士川舟運の史跡

    当時を偲ばせる史跡

    富士水碑

     江戸時代の初期から昭和の始めまで、316年間にわたった富士川舟運にまつわる史跡は各所に残っており、当時を偲ばせてくれる。
     鰍沢河岸のあった現:富士川町明神町地内には、航路の改修工事にあたった「角倉了以」の功績をたたえる碑文が刻まれた「富士水碑」が建てられている。そして、そのすぐ近くには航行する舟の見張り所「口留番所」の跡がある。また、舟を係留する(つなぎ留める)ための石が、舟運に関わった方の家に保存されている。河岸を見下ろす山腹には、船頭や乗組員とその家族が、安全祈願を欠かさなかったという七面堂の社がたたずみ、三大難所の一つである「天神の滝」の改修工事を行った時、無事に完成したことを記念して奉納した絵馬が納められている。(現在は、拝殿の老朽化により、役場に保管)絵馬からは、当時の人々が舟の航行を阻む巨石を取り除く労苦の跡をうかがい知ることができる。

     鰍沢より下って、支川の早川が合流する地点には、やはり三大難所として知られた屏風岩が険しく切り立った姿を見せている。南部町まで下ると、舟の命をとると恐れられた「舟取りの岩」や「お老勢岩」があり、今でも当時の恐怖を思いおこさせるような岩が残っていて、近くには、ここで命を失った方々の霊を慰める慰霊碑が建てられ、今もたむけられる花は絶えない。十島地区には、「口留番所」跡を示す碑が富士川を見下ろしている。

    銚子ノロ

    さらに下り、静岡県の芝川町には、やはり三大難所として知られた「銚子ノロ」があり、ここは、富士川の中でただ一つの中之島「瀬戸島」となっている。流れは二分されて、富士山の溶岩流が浸食されてできた東側の河道は両岸が切り立った崖となり、川幅は極端に狭められ激流と渦が交錯して凄みさえ感じさせる所であり、近くにはここで亡くなった人々を慰める慰霊塔が佇んでいる。そして、岩渕河岸のあった富士市は、河岸の跡をうかがうことはできないが、家並みの佇まいは当時の面影を偲ばせてくれる。近くには、岩渕河岸の片隅だったのではないかと思われる箇所に巨木がそびえている。またその近くには、復元された河岸の常夜灯が佇んでいる。この岩渕河岸から蒲原浜へ、明治になってからではあるが、運河が開削された。東海道本線が敷設されるまでの短い期間ではあったが、その運河の跡が現在も富士市から静岡市清水区にかけて点在している。

    鰍沢七面堂・船留の石 鰍沢七面堂・船留の石

    富士水碑要旨

    錐のやぐら 錐のやぐら轆轤(ろくろ) 轆轤(ろくろ)

     通船から百九十年経った寛政九年十二月この顕彰碑を造る。富士川は急流で小さな丸木船でも通れなかったのを、信州・甲州の住民に荷物運搬の苦労が多い事を思い徳川家康が、京都の角倉了位に命じ、頭脳と機械を駆使して完成した。この為下りに一日上りは三〜四日で通行できた。開通後間もなく洪水の為に水路が塞がったので、了位の息子玄之(つねのぶ)が復旧した。角倉了位は鴨川・大井川・天竜川の改修工事も行った人で、この偉業と受けた恵みに感謝し、子々孫々に伝えるように鰍沢の船着場に碑を建てた。

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