第1節

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E 川匂神社
川匂神社
相模国の二の宮として格式を持ち、源頼朝をはじめ多くの武将に崇敬された古社。





            押切橋
   押切橋






 海道から離れた北側に、山西・二ノ宮・中里・一色・西久保・川勾など六カ村の鎮守二ノ宮明神社、現在の川勾神社がある。

 寒川神社に次ぐ歴史と格式を持った相模国二の宮で、建久三年(1192)、頼朝が神馬を奉納する。

 さて東海道は、一里塚跡の手前で国道一号と分かれ、坂を下り、下りきったところで再び合流、押切川にかかる。
押切橋を渡ると小田原市である。

 往時、ここから三間(約5.4メートル)幅の東海道の道幅は、小田原宿までほぼ五間(約9メートル)余の幅を持ち、前川村、国府津村、小八幡村、酒匂村、網一色村、山王原村と続いていた。

 酒匂村と網一色村境に酒匂川があり、現在は、酒匂橋
を利用するが、かつてその川幅は三百二十間(約580メートル)ほどで徒歩(かち)渡しであった。














 押切坂
押切坂




               二宮町の歩みメモ



 明治四年(1871)の廃藩置県により足柄県に編入。同九年(1876)、神奈川県に編入。同二十二年(1889)の町村制施行により、淘綾郡一色村・中里村・二宮村・山西村・川勾村が合併して吾妻村が成立。吾妻村は昭和十年(1935)、町制施行、二宮町となる。

 海辺沿いの村々では、漁船を一艘から十艘を所有し漁業活動も盛んであった。捕れた魚は大磯宿や小田原宿、あるいは近在へも売り出された。温暖な気候に恵まれ、明治以降、保養地・別荘地として発展してきたが、最近は一般住宅地が増えてきている。



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