第3節

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Eかつて小土呂橋にあった擬宝珠写真6



G芭蕉の句碑

芭蕉が元禄7年(1694)、郷里の伊賀に帰る時に、見送りに来た門弟たちと別れる際、
「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」
と詠んだ句が刻まれている

 海道と新川堀の交差地点には古くから石橋、小土呂(ことろ)橋があったが、現在は川はすべて暗渠(あんきょ)となって地表からは姿を消し、かろうじて「小土呂橋」の地名が交差点名あるいはバス停となって残るにすぎない。この橋に使用された洒落たデザインの擬宝珠(ぎぼうし)が二基、交差点脇に保存されている。
 これより浄土宗
教安寺(きょうあんじ)を経て、現在馬嶋病院のあるところが上手土居(かみてどい)・京口であった。

 この土居のかたわらには現在、教安寺の山門前に移されている石製燈籠と、京浜急行八丁畷(はっちょうなわて)駅前に移された芭蕉の句碑があった。

 元禄七年(1694)五月、江戸の庵を発ち、郷里・伊賀へ帰った俳聖芭蕉は、川崎宿で同道してきた門弟たちと別れ、

  麦の穂をたよりにつかむ別れかな

の句を詠んだ。文政(ぶんせい)十三年(1830)八月、俳人一種によってこの句を刻んだ石碑が建立されたのである。

写真7
F京 口

現在、馬嶋病院のあるところが京口。





東海道五十三次の内

川崎「六郷渡舟」
初代広重 保永堂版

川崎宿浮世絵
静岡県立美術館蔵













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