第1節

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現在の多摩川(六郷川)

写真0
江戸を出て最初の大河、六郷川(多摩川)。手前が品川、川向こうが川崎。かつて「六郷の渡し」といわれたところに、いまは新六郷橋が架けられ、川崎宿の家並みも現代的なビル群に変貌した。



@大師灯籠と明治天皇渡御碑写真1



写真2A旧田中本陣跡(深瀬小児科医院)と東海道
川崎市では快適な歩行者空間をつくるために電線類などを地中化し、歴史ガイドパネルや御影石など東海道の歴史と文化をイメージし

た景観づくりをすすめている。


 
は渡船場であったが、現在は新六郷橋を渡る。川崎方の橋詰に川崎大師の燈籠があり、そのそばに明治天皇渡御碑(とぎょひ)が建っている。


 明治元年(1868)十月十二日、天皇は東下の道中、川崎田中本陣で昼食(ちゅうじき)を召され、その後二十三艘でつくられた舟橋(ふなはし)を渡御された。


 この碑のある下手の土手下に当時の船着場があったと推定されるが、その痕跡は見当たらない。わずかに係留されたボートに往時を連想するのみである。


 この船着場から土手をあがった旅人は、現在の国道を横切って旧宿内へ入ることとなる。


 この旧道と国道が交差する辺りに有名な万年屋があり、その脇から川崎大師へ至る大師道がスタートした。


 この岐路にあった、寛文(かんぶん)三年(1663)造立の大師を指示した石製道標は、造立年代の古さ、スケールの大きさ、雄勁(ゆうけい)な書体で近世石製道標でも屈指の名品であるが、現在は川崎大師境内に移築保存されている。


 旧宿内に入ると、まもなく右手に深瀬小児科医院があり、この場所が
旧田中本陣跡である。





旅人









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