草津谷・六合

からくり計画

からくり意味だすっ

 


い イデユコゴメ
湯畑や西の河原にみられるグリーン、これがイデユコゴメだ。草津の湯は高温で、しかも強い酸性。普通の植物が生きていかれる環境ではない。驚くべきことなのだ。実はイデユコゴメ類は世界各地の高温強酸性温泉に生息する単細胞で原始的な紅藻。こういった環境のもとで生きる藻類なのだ。勿論、日本で一番繁殖しているのが草津。


く 草津
草津の名の由来には2つの説がある。1つは「大般若経」の中にある「南方有名是草津湯」の一説からとったというもの。もう1つは草津の湯から発生する硫化水素の臭いから「くさみづ(臭水/くさみず)」、「くさうづ(くそうず)」、「くさつ」と変化した、というもの。

草津に歩みし100人
湯畑の石柵にズラリ並んだ有名人の名。一番古くは日本武尊から、昭和を飾った大女優高峰三枝子まで顔ぶれは豊か。2000年、草津町町制施行100周年の記念事業の一環として、千年を越す時のなかで草津を訪れた多くの人々の中から選ばれた100人なのだ。それぞれが訪れた時代の風景に思いを馳せながら、今日の湯に浸かるのも楽しいかも。

六合(くに)
六合村は、「小雨」「生須」「入山」「太子」「日影」「赤岩」という6つの大字がひとつになったもの。なぜ「くに」と読むかというと、日本書紀の記述(神武天皇即位のくだりのすぐ前)に、「兼六合以開都」と記してあり、「くにのうちをかねて、以て都を開く」と読んでいることに因んでいるから。「六」は、東西南北及び天地を意味して支配の範囲を示し、国(くに)を意味している。


け 源泉
草津の源泉といえば、強酸性で高温だ。酸性度の強さは並大抵ではなく、pH1.7〜2.1。これこそが湯治場草津の強みでもある。そしてまた約55度と熱い。万代源泉はなんと約95度!万代源泉の熱を利用して水道水を温水化して給湯したり、冬場には道路の融雪に使ったりと有効活用している。また日本一の自然湧出泉でもあり、毎分36,000リットル以上が湧き出す。これはドラム缶約25万本。なかなか想像がつかない量だが、これが遠い昔からこんこんと涌き続けているのだから驚きだ。この豊かな湯は全て草津白根山から来ている。

こ コマクサ
その優美な姿から、「高山植物の女王」といわれ、ハイカーの憧れの的である高山植物。高山帯の砂礫地に稀に発見できるくらいなのだが、本白根山には広範囲に群生している。これは関東唯一の規模だ。花は小型で濃紅色からピンク色(まれに白色もある)で、駒(馬)の頭にも似ている。6月上旬から咲き始め、7〜8月が最も見頃。かつては乱獲で絶滅の危機にもあったというこの女王たちへの慈しみの心を忘れずに。


し 尻焼温泉
この温泉の最も面白いところは長笹沢川の河床が源泉である事だ。従って川そのものが温泉になっている。名前の由来は河床に穴を掘って温泉に浸かっている姿が「尻を焼いているようだったから」。更衣室は特になく、自由に入れる混浴。水着を着て川遊びと一緒に楽しむ人が多い、開放感溢れる天然の大露天風呂だ。


す スキー
草津のスキーの歴史は古い。日本に初めてスキーが伝えられた明治44年から3年後の大正3年には早くもスキー場が開かれ、日本初のスキー大会を開催するなど、日本のスキー場の草分け的存在なのだ。更に昭和6年には日本初のスキー学校を設立して、スキー学校発祥の地でもある。そして昭和23年、これまた日本初となるスキーリフトが建設されたのもこの草津。そんなやる気溢れるスキー場も夏にはグラススキーやパターゴルフなどが楽しめる、花と緑が溢れる高原リゾートへと姿を変える。スキーを滑るとき、足元に眠る草花のことを、ちょっとだけ思い出してみてほしい。


そ 双体道祖神
六合村のあちらこちらに点在する道祖神。疫病や悪霊を防ぐ神様だ。六合村には現在29体があり、その多くは男女2体が寄り添う双体道祖神。同じものはなく、貴族と農婦ふうであったり、二人がそっぽを向いているようであったり・・・。その姿は神様だけどなんとも暖かく微笑ましい。六合村をのんびり散策するときには、ひっそり佇む彼らの表情をそっと覗いて見てほしい。草津にも6体の双体道租神がある。


と 湯治
古くは大和武尊(ヤマトタケルノミコト)が発見したという説もある草津の湯。長い歴史の中で、特殊な泉質を活かす温泉療法として明治のはじめに完成したのが草津独特の入浴方法「時間湯」。「湯長」と呼ばれる指導者に従って1日4回、1回3分、みんなが一斉に入浴する。湯長の掛け声に応えながら高温の湯にじっと耐えるのだが、身体を病んだ人にとって大変厳しい命がけの入浴であった。現在でも千代の湯と地蔵の湯の2ヶ所で「時間湯」体験ができる。

の 野反湖
上信越高原国立公園内にある野反湖は標高1514mにある周囲12kmの人工湖。1956年、水力発電用の野反ダム完成に伴ってできた。しかし、周囲を山々に囲まれ、季節が来るとたくさんの高山植物が咲き誇り、夜空イッパイの星たちなど、豊かな自然の恵みに満たされている。キャンプ場も整備されているからアウトドア好きにはたまらない。しかもなんと、ニジマスの自然産卵も確認されているのだ!貴重な自然を守るためにボートでの釣りはできないけれど、じっくり湖岸を歩いて、いいポイントを見つけるのも野反湖で釣りをするときの楽しみかたかも。


ひ 百八十八観音
江戸時代に品木の山本梅右衛門により建立された石仏群で、現在176体をみることができる、六合村指定の文化財。ここを一巡すれば四国、坂東など全国の霊場を巡ったのと同じ功徳があるといわれている。村人の四国巡礼に対する強い思いが表れているようだ。かつて品木地区があった上州湯の湖を見守るように佇んでいる。


ふ 冬住み
かつて生活の糧を湯治客に頼っていた草津の人々は、薬師講の縁日であり湯治客の帰る旧暦の10月8日を過ぎると寒を避けるために店や湯宿を閉じ、雪の少ない東に位置する小雨など、六合の村で冬を越す習慣があり、これを「冬住み」と呼んだ。次の薬師講の縁日である4月8日に草津に帰るまでの間、草津の人々は湯治客を迎える準備や土産物を作って過ごした。この習慣は草津開湯以来明治30年まで続けられており、その歴史を語る資料が冬住み資料館に展示されている。


へ ベルツ(Erwin von Bealz)
明治時代に、草津を「世界のKUSATSU」にした、ドイツ人医師。最新の西欧医学を身に付けていたベルツは明治9年に政府の招きで来日、皇室の侍医も務めるなど活躍して「近代日本医学の父」とも称せられる人物。草津温泉を訪れたベルツは、独特の泉質や効能に関心をもち、その入浴方法である「時間湯」を調査・研究してドイツ医学会に発表したのだ。ちなみにベルツは29年間日本に滞在。14歳年下の花夫人とは生涯幸せに連れ添った。


め めんぱ
六合が誇る工芸品のひとつで、木製のお弁当箱。もちろん生活に密着した大切な道具だから、吸湿性抜群、ご飯が傷まないという優れもの。見た目も美しく松の香りも清々しい。薄い赤松の木を曲げて形作り、桜の皮で縫い合わせる。ちなみにめんぱ職人を「曲げ物師」と呼ぶ。あなたもおひとつ、いかが?