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鬼怒川・小貝川を知る

  • 鬼怒川・小貝川の歴史(治水)

    江戸時代に利根川の東遷事業が行われ、鬼怒川と小貝川が切り離され、利根川へと合流するようになりました。

    千年前の利根川と鬼怒川・小貝川

    千年前、鬼怒川も小貝川も、そして利根川本川も現在の流れとは全く異なっていました。昔の利根川は太日川といい、江戸湾(現在の東京湾)に流れ込んでいました。

    利根川の東遷

    江戸湾(現在の東京湾)に流れ込んでいた利根川を現在の流れに人工的に変えたのは江戸時代のことです。徳川家康が、天正18年(1590)に江戸城に入府すると、江戸湾(現在の東京湾)に流れ込んでいた利根川を太日川、常陸川へと付け替え、千葉県の銚子へと流す現在の利根川水系の体系をつくりました。

    鬼怒川・小貝川の分離

    鬼怒川・小貝川の分離の地図

    江戸時代の初め、鬼怒川は下妻付近で糸繰(依)川を介して小貝川とつながり、小貝川とほぼ並行して流れ、水海道から現在の小貝川に再び合流して、常陸川(現在の利根川)に合流していました。鬼怒川・小貝川の分離は、利根川東遷事業の一環として、慶長13年(1608)から元和年間(1615〜1624)初頭にかけて進められました。この事業の目的として以下のことがあげられます。

    • 鬼怒川と小貝川を分離することで広大な湿地であった谷和原領一帯を洪水被害から守るとともに、新田開発を進める

    • 鬼怒川と小貝川の分離によって東北方面の物資を早く江戸へ運ぶため、舟運による水上交通の確保を図る

    その結果
    広大な流域の開墾が可能となるほか、鬼怒川では北関東や東北方面との物資流通路として舟運が盛んになり、いくつもの河岸が川沿いに栄えました。

    イルカの化石の発見

    流域の歴史的変遷を示すものとして、鯨やイルカの化石骨が発掘されたことが上げられます。鯨の背骨の化石は明治40年ごろ真壁郡騰波之江村宇津保谷で小貝川砂利発掘の際、イルカの頭骨の化石は昭和29年8月に竹島村八軒でそれぞれ出土したことが記録されています。このことは、当時の環境を知る上で貴重な資料といえます。

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