かわづくり
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わたらせ川を知ろう
渡良瀬川のうつりかわり
大昔の渡良瀬川
渡良瀬川はいつから、どんな風に流れていたのでしょうか。
川ができた頃は、まっすぐ南へ流れていたようですが、約1万年前に南東に流れるようになったと言われています。
渡良瀬川の流域には、 縄文 ( じょうもん ) 時代の頃から人々が生活していたあとが残っています。多くの 遺跡 ( いせき ) が発見されており、人々は日当たりのよい 高台 ( たかだい ) に 暮 ( く ) らしていたことがわかっています。古代 ( こだい ) から江戸時代までの渡良瀬川
今でこそ渡良瀬川は利根川の 支川 ( しせん ) になっていますが、1000年ほど前には「 太日川 ( ふといがわ ) 」と呼ばれていて、足利市のあたりから矢場川を通り、利根川と 平行 ( へいこう ) するように流れていました。
そしてそこから 五霞村 ( ごかむら ) を流れて、今の庄内古川を通り、金杉から 千葉県 ( ちばけん ) の 流山 ( ながれやま ) ・ 松戸 ( まつど ) ・ 市川 ( いちかわ ) の町を通りすぎて、 現在 ( げんざい ) の江戸川の 川筋 ( かわすじ ) を流れていました。
江戸時代になると、現在の 東京湾 ( とうきょうわん ) に流れていた利根川を千葉県 銚子市 ( ちょうしし ) に流れるようにする工事(これを利根川 東遷 ( とうせん ) といいます)が行われ、別々に流れていた利根川と渡良瀬川がつながるようになりました。明治 ( めいじ ) 時代から現在
明治時代のおわりから、さらに工事が行われ、渡良瀬川は大きく変化しました。
それまでの渡良瀬川は、藤岡町で南に向きを変え、今の渡良瀬遊水地の下側から古河まで流れ出していましたが、明治のおわりから昭和のはじめの工事によって、藤岡町の台地をけずって 放水路 ( ほうすいろ )をつくったので、川の水は赤麻沼(現在の渡良瀬遊水地内)に流れこむようになりました。
それ以来、現在までに第1から第3まで3つの 調節池 ( ちょうせつち )が完成しています。