利根川の概要と歴史
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水防・治水の歴史
昭和22年洪水記録(カスリーン台風)
「昭和22年(1947年)のカスリーン台風は未曾有の大出水を引き起こし、その被害の規模において明治43年洪水に匹敵するものであった。
利根川右岸の埼玉県北埼玉郡東村新川通(現・大利根町)地先において延長約400m、左岸の茨城県猿島郡中川村長沼(現・岩井市)地先において延長250mが破堤したのをはじめ、本川・支派川合わせて24箇所約5900mの堤防が破堤した。
特に、9月16日の本川東村地先の破堤による氾濫は、埼玉県東南部の町を次々と濁流に巻き込み、さらに東京都の葛飾区・江戸川区にまで達し、氾濫面積は約450km2となった。この東村の破堤による被害状況は、死者78名、負傷者1506名、家屋の浸水138854戸(内床上102855戸)という激甚なものであった。
この洪水を契機として利根川改修改訂計画が樹立されることとなった。」(利根川百年史)
その後、堤防やダム・遊水池等の治水施設の整備を着実に進めてきておりますが、その整備状況は決して十分な状況にまでは至っていません。河川環境に配慮しつつ災害の防止へ向け河川整備を進めて参りますので、皆様のご理解・ご協力をお願い致します。