国土交通省 関東地方整備局 久慈川緊急治水対策河川事務所
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久慈川の概要

久慈川

古くから奥久慈に代表される景勝と豊富な水量、良好な水質の河川としてしられる久慈川の歴史、自然、川づくりについての解説です。

■久慈川の概要

 久慈川は、その源を福島県・茨城県・栃木県の境界に位置する八構山(標高 1,022m)に発し、福島県の山間部を北東に流れた後、南流し、八構山地と阿武隈山地との間の谷底平野を流れて茨城県に入り、山間狭窄部の奥久慈渓谷を経て、沖積平地を下り、山田川、里川等を合わせ太平洋に注ぐ幹川流路延長124km、流域面積1,490km2の一級河川です。
 久慈川流域は、南北に長く、福島県・茨城県・栃木県の3県の5市5町2村にまたがり、日立市、常陸太田市などの下流域に人口集中がみられます。流域内人口は約19万人、流域の土地利用は、山地等が約88%、水田・畑等の農地が約11%、宅地等の市街地が約1%となっています。久慈川流域には、JR常磐線、JR水郡線の鉄道網、常磐自動車道や国道6号等の主要国道が整備され、地域の基幹をなす交通の要衝となっています。

■久慈川流域の地形と気象

 久慈川は、源流から矢祭橋までの上流部において、八構山地と阿武隈山地に挟まれた源流渓谷と谷底平野の中央部を流下しています。矢祭橋から岩井橋までの中流部において、八構山地と阿武隈山地に挟まれた山間渓谷地形をなし、山間狭窄部を蛇行しながら流下します。岩井橋から河口までの下流部において、那珂台地と阿武隈山地に挟まれた丘陵地の間に形成される沖積平野を緩やかに流れ太平洋に注ぎます。
 河床勾配は、上流部では約1/20~1/200、中流部では約1/40~1/900および下流部では、約1/700~1/2,000です。
 久慈川流域の地質は、多彩な地質で構成されています。久慈川本川より東側においては、先カンブリア時代の堆積層が火山活動によって変成作用をうけた古生代の変成岩類、中生代に貫入した花崗岩類および日立鉱山として採掘が行われた日立古生層により構成され、久慈川本川より西側の八構山周辺においては、砂岩、頁岩、凝灰岩、チャートなど古生代末期~中生代に海に堆積した泥や砂が固結した地層により構成されています。
 久慈川流域には、新第三紀の断層活動によって太平洋から日本海まで直接的に伸びる破砕帯が形成されています。これは棚倉破砕帯と呼ばれており、里川、山田川等は、この断層に沿って直線的に流れています。
 久慈川流域の気候は、山地部においては、寒暖の差が大きい内陸性気候を示し、大子の年平均気温は12℃程度となっています。平野部においては、夏季は高温多湿、冬季は乾燥する太平洋側気候を示し、日立の年平均気温は14℃程度となっています。降水量は梅雨期から台風期にかけて多く、流域の年平均降水量は約、1,400mmとなっています。
 

■久慈川流域の自然環境

 久慈川流域の自然環境は、奥久慈県立自然公園(福島県・茨城県)等、5つの県立自然公園が指定されており、豊かな自然環境に恵まれているとともに、袋田の滝や奥久慈渓谷などの観光資源に恵まれ、数多くの観光客を集めています。
 上流部のうち、源流部から棚倉大橋までの区間は、暖温帯と冷温帯の接点にあたり、カシ類等の温暖帯性林とブナ等の冷温帯性林が分布する等、多様な植生が見られ、また、瀬と淵が連続する渓流には、イワナやヤマメ等の生息・産卵場となっています。棚倉大橋から矢祭橋までの区間は、八構山地と阿武隈山地に挟まれた谷底平野を流れ、連続した瀬と淵が形成され、アユ・サケ等の生息・産卵場となっています。
 中流部は、八構山地と阿武隈山地に挟まれた崖地の間を蛇行して流れ、連続した瀬と淵が形成され、アユ・サケ等の生息・産卵場となっています。また、砂礫河原が形成されている区間や、河床が露岩形状を呈している区間も見られます。崖地にはヤマセミ等が生息しています。
 大子町付近では、冬場の滝の凍結や久慈川の流水が凍ってシャーベット状で流れる「シガ」と呼ばれる珍しい自然現象が見られます。
 下流部のうち、岩井橋からJR常磐線久慈川橋梁までの区間は、連続した瀬と淵が形成されアユ・サケ等の生息・産卵場となっており、砂礫河原にはイカルチドリ等が生息・繁殖しているほか、高水敷のオギ・ヨシ群落にはカヤネズミ等が生息・繁殖しています。また、水際には水害防備林としての竹林が見られます。
 粟原周辺の旧川跡地には、段丘上の斜面林が近接し、高水敷にはオギ・ヨシ群落が分布し、タコノアシ等の湿性植物が生育しています。また、榊橋付近において水際の河畔林にサギ類のコロニーが見られます。
 JR常磐線久慈川橋梁から河口までの区間は汽水域となっており、カモメ類・カモ類等の越冬場や、ボラ・ハゼ類等の生息場となっています。
 

■久慈川流域の産業と人口

 久慈川流域は、大部分は山地であるが、下流部は肥沃な平野をなし農産物の生産が多く、下流部には古くから商業の中心地として栄えた常陸太田市、北関東屈指の工業地帯と国際貿易港を有する日立市や日本で初めて原子力発電所が建設された東海村が位置しています。このため、常陸太田市、日立市などの下流域に人口集中がみられます。
 久慈川流域に含まれる、福島県・茨城県・栃木県内の市町村の人口の推移を表1に示す。
 久慈川流域に係る福島県・茨城県・栃木県の産業別就業者数の推移を見ると、昭和25年から平成27年にかけては、第1次産業は減少し、第2次産業は、平成7年までは増加していたものの、それ以降は減少してきています。また、第3次産業は、平成17年までは増加していたものの、平成22年以降は減少しています。







 

■久慈川の治水計画の経過

 久慈川は記録に残っているだけでも江戸時代から数多くの水害が起こっています。明治23年8月の洪水で甚大な被害を受け、そのおそろしさを後世に知らしめるため建立された「可恐碑(おそるべしのひ)」が茨城県大子町に残されています。久慈川の治水事業は、大正9年10月洪水等、度重なる洪水において甚大な被害を受けたことを契機に、昭和13年、直轄河川改修事業に着手したことにはじまります。
 昭和13年6,7月洪水、昭和16年7月洪水、昭和22年9月洪水で大きな被害を受け、昭和13年より里川合流部の河道掘削等・築堤工事に着手し、昭和27年には里川合流点を1km下流に付替えました。
 昭和29年からは大きく湾曲していた粟原・門部地先において捷水路工事に着手しました。
 昭和41年には、一級水系の指定に伴い、基準地点山方における基本高水のピーク流量を3,400m3/sとする工事実施基本計画が策定されました。
 昭和44年からは、河口砂州の発達により直角に1.6km北上していた河口部の河道を、直接太平洋に注ぐよう付替える河口部付替工事等の治水対策を実施しました。
 昭和49年には、出水の状況および流域の開発状況に鑑み工事実施基本計画の改定を行いました。この改定では、基準地点山方における基本高水のピーク流量を4,000m3/sとし、このうち上流ダム群により600m3/sを調節して計画高水流量を3,400m3/sとしました。
 昭和61年8月洪水で大きな被害を受け、門部地先や花房地先等において堤防整備等の治水対策を実施しました。
 平成20年に策定した久慈川水系河川整備基本方針において、基準地点山方における基本高水のピーク流量については4,000m3/sとし、計画高水流量は基本高水のピーク流量と同量の4,000m3/sを河道へ配分するとし、河口地点において6,000m3/sとしました。
 平成30年に策定した久慈川水系河川整備計画【大臣管理区間】において、目標流量を基準地点山方において、昭和61年8月洪水と同規模の3,000m3/sとし、洪水による災害の発生の防止又は軽減を図ることとしました。
 令和2年1月には、令和元年東日本台風による災害を踏まえ、「久慈川・那珂川流域における減災対策協議会」の派生部会である「久慈川流域における減災対策部会」により、「久慈川緊急治水対策プロジェクト」を取りまとめました。
 令和2年9月には、久慈川水系河川整備計画【大臣管理区間】(変更)を策定し、目標流量を基準地点山方において、戦後最大洪水である令和元年10月洪水(令和元年東日本台風)と同規模の3,400m3/sとし、洪水による災害の発生の防止又は軽減を図ることとしました。

■久慈川の治水計画等
 
久慈川水系河川整備基本方針
  https://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/kuzigawa26-1.pdf

 久慈川水系河川整備計画
  
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000784546.pdf

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