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千葉古街道歴史散歩
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史跡

 江戸後期に馬加村(現在の幕張)の代官屋敷だった大須賀住宅。昭和43年千葉市に寄贈され、民俗資料として保存の為、移築公開されている。寛保〜寛延年間(1741〜1750)の建造と思われ、一部、近年の改造の跡がみられるが、奥の間は比較的よく旧態を残している。敷地内は日本最大の規模である加曽利貝塚。縄文期の貝塚で、復元された竪穴式住居が点在している。

 大聖寺は弘法大師の外甥智証大師の開基といわれ、真言宗豊山派である。宇那谷町にあったが、昭和初期に、その付近一帯が陸軍演習場用地に含まれたため付近住民とともに現在の場所に移転した。本堂には、江戸時代に造られた大日如来坐像や阿弥陀如来像、弘法大師像などがあり、仁王門には高さ2.8mもある左右一対の金剛力士像が、鐘楼とともに当時の面影をとどめいている。

 徳川の幕府の初期の元和2年(1616)2月権僧都宥照が開いたといわれ、城跡に建立されたので、土塁と空濠がほぼ完全な形で残っている。右手塁上には多数の出羽三山(*1)碑が建つ。境内には本寺である千葉市金親の金光院(御成街道編にて紹介)から枝分けされた徳川家康ゆかりの樹齢370年のしだれ桜の古木がある。1994年枯死寸前の所、樹勢回復の大手術を市で行った結果、翌年も見事な花を咲かせ、今なお花見の人々を魅了しつづけている。

   

 創立時期は不詳だが、老中土井利勝公が佐倉城を築いてから、城地鎮護・佐倉藩総鎮守の神として歴代の城主・家臣に崇敬された歴史ある神社。多くの神宝・社宝を所蔵している。現在の社殿は天保14年、のちに幕府の老中を務めた藩主堀田正睦が新たに建て替えたもの。現在、樹齢800年以上の大銀杏や大樹に囲まれた境内は人々の憩いの場となっている。

 

 宮小路町に復元された武家屋敷から、当時の武士の生活を偲ぶことが出来る。城下町として栄えた佐倉は、武士と町人の住む町がはっきり分けられていた。江戸時代には多くの武家屋敷が立ち並んでおり、現在は21棟の武家屋敷が残っているという。現在、そのうちの3棟が一般公開されており、当時の武家の暮らしを垣間見ることが出来る。

 

 明治時代に造園された芝生と借景を生かした旧堀田邸。佐倉藩最後の藩主堀田正倫が邸宅とも整備した県内を代表する庭園である。自然の地形を利用した美しい造りに定評があり、さくら庭園という名の通り、春には桜が満開となり、梅など四季折々に美しく、人々に親しまれている。季節ごとにお茶会も開催。高台に建つ屋敷からは市街が一望できる。

*1) 出羽三山とは、羽黒山、月山、湯殿山の総称。
古来より、行の山・清めの山・祖霊安鎮の山として、山そのものを神体として崇めてきた。開山は、推古元年(593)で、蜂子皇子が奥の院湯殿山を開いたのが始まり。