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千葉古街道歴史散歩
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歴史
1616年に徳川家康が死去し日光東照宮へ埋葬された。その日光へ、歴代将軍が参拝を行うために使われた日光街道(*1)の脇街道(*2)として整備された道。別名を関宿道、多功道、久世街道、結城街道とも言われ、実際には御社参のほかに、参勤交代の大名通行路や物資の輸送など庶民の往来も多くあったよう。また、俳人小林一茶が旅した道としても有名である。
野田市役所入り口脇の案内板によると、『水戸街道(国道6号線)向小金付近を起点に北上、山崎から関宿を通り利根川を渡って境から結城など10の宿を経て雀宮(栃木県宇都宮市)で日光街道と合流する。17里14町(約70キロkm)の道のり…』とあり、現在、JR常磐線南柏駅西口からほど近い水戸街道と県道柏・流山線との交差点が日光東往還の起点になっており、信号機には「旧日光街道入口」の名が付されている。
宿場は山崎、中里、関宿、境、谷貝、仁連、諸川、武井、結城、多功の10ヶ所設けられ、街道には一里塚(*3)が設けられていた。

*1)日光街道… 五街道(東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道)の一つとして有名。これらの本街道に対して脇街道が存在していた。
*2)脇 街 道… 五街道を連絡する道路。今でいうバイパス。日光東往還は御成街道や例幣使(れいへいし)街道とともに日光街道の東側の脇街道の一つとして数えられている。
*3)一 里 塚… 一里(4km)毎に街道の両側に塚を設け、その上に榎木を植え目印としていた。日光東往還には並木も作られていた。

おの・つよし著「イラスト のだ・せきやど物語」崙書房
流山市博物館の会編「東葛観光歴史事典」崙書房
「房総路・ 古街道を往く」千葉県広報協会発行
さいとう・はるき著「房総の歴史街道絵本」崙書房
「続 柏のむかし」柏市史へんさん委員会発行